Rhynie Chert-ライニーチャート-

それでもこの世界は美しい

全てのアイデアに価値がある。(ポテンシャル理論)

発明家トーマス・エジソンの有名な言葉がある。

「天才とは99パーセントの努力と1パーセントの閃きである」

 

多分この現代で生活していてこの言葉を聞いたことがない人はいないだろう。こぞって誰かが何かのキャッチフレーズのように使う台詞だ。

 

多くの場合、2通りの解釈がされる。天才でも努力しなければならない、とか逆にその1%が凡人と天才を分けるんだ、とかね。

 

だが僕がここで言いたいことはそんなことじゃあ決して無い。

このブログの読者の皆様には、これから先を読む前に刻んでいただきたい言葉がある。
"我々のアイデアには全て価値がある"

それは別にそのアイデアが1%だとして、それに対して99%の努力が必要とか、そういうことを決して言いたいんじゃない。

どういう意味か。
根本的にアイデアがなければ進歩が生まれないということ。

つまりアイデアと努力はまず切り離して考えるべきだということだ。

 

多くの人は勘違いをしていると思う。

イデアは実現されなければ意味がないと。

だからその実現のために努力が必要だと考えがちだ。
後半には賛成。つまりアイデアの実現に努力というプロセスは必要になってくるし、目標に向かって努力できる人は僕も好きだ。

だが前半には賛成できない。

例え実現できなかったとしても、そのアイデアそのものに価値がある。

イデアこそが進歩を生む。
そして進歩が無ければとうの昔に人類は滅亡していた。

10世紀より前に成立していたと言われるイースター島の文明が滅んだことについては諸説あるが、
有力な説は静的な社会において創造力がなかったためだとされている。

静的な社会とは、ほとんど変化がないような社会でその社会の中では変革や改革は滅多に起こらない。既存の秩序や常識を守る方向に社会の性質が働き、変化が起こるのを阻もうとし、それを引き起こす要因は排除される。それとは対照的に動的な社会とは常に社会が変化する方向に進み、よく革命が起きるような社会だ。
島民の人々は秩序の維持に固執し、環境に合わせて秩序を変化させられなかった。それがイースター文明崩壊の要因と考えられる。

静的な社会にはその秩序を維持する権力者がいる。(分かりやすいのは独裁国家共産国家として知られるかの国々をイメージしてほしい)。だが静的な社会もデメリットばかりではなく、逆に権力者が創造力を持てば静的な社会はどこよりも創造力の働く世界となる。

だとしたら、ハイラーキーやグループのトップにおける権力者には創造力が重要なのだ。

もう一つの例をあげよう。20世紀経済学者のトーマスマルサスは、食料増加は算術級数的(等差数列)に増加し、人口増加は幾何級数的(等比数列的、もっというと指数関数的)に増加するため、確実に人口が食糧生産を追い越し人類は戦争になると予言した。

だが最後の世界戦争は1945年の第二次世界大戦でそれ以降大戦争は起こっていない。(もちろん、それ以降も冷戦やベトナム戦争などであったり、その他地域や小国家間の戦争は現在も続いているが)なぜマルサスの言うとおりにならなかったのだろうか。

それは人類が進歩したためだ。

トーマスマルサスが予言した当時にはなかったアイデアが達成されたためだ。

つまり、未来の予測とはあくまでその点における偏微分(複雑に曲がる未来をその接線で近似したもの)の延長でしかない。
つまり世界を線形的に考えていることが問題で、実際には世界は決して線形的(1次関数で表せられるような直線的なもの)ではない。

ではなぜ我々は世界を線形として、つまり過去から未来へ1次元的に進んでいるように捉えてしまうのだろうか。

それは我々が地球にいながら地球の丸みを感覚で理解できないのと似ている。地球に対して我々が小さすぎるが故に地表をその偏微分接平面として認識している。

もし世界が線形的なら全ての現象はニュートン力学で説明ができ、量子力学が誕生する必要はなかった。

更に偏微分であるということはつまり、ポテンシャルが存在する。(例えば物理学において力はF=-gradUと表せられ。Uがポテンシャルと呼ばれる。gradとはgradient(勾配)の略で偏微分を表す演算子)


故にそのポテンシャルに合わせて我々は必ずアイデアを達成できる。

保存力的視点で言えば、重要なのは保存力の外から働く外力をどう利用するか。
かつ外力からの影響をどう受けずにいるか。

例えばジェットコースターに乗ることを想像して欲しい。(ちなみに僕は実際にジェットコースターに乗ったこともないし、今後の人生でも乗るつもりはない)

ジェットコースターが最大の高さまで昇った時、そこに位置エナジーが蓄えられる。そして後は高いところから低いところに向かうとき、その位置エナジーが運動エナジーに変換されて滑るため、ほとんど電気もかからない。摩擦や空気の抵抗があるのでちょうどそれでエナジーは微妙に失われ、最後は止まってくれる。

 

そこでもし摩擦も空気の抵抗もなければ無限に稼働し続ける永久機関を作ることができる。

だが永久機関の存在(正確には第二種の永久機関)は熱力学第二法則によって否定されている。

しかしそれすら目に見える物理世界の話だ。

だが人間の精神の内側にある可能性は無限大だ。そしてそこには他者も外部の力も干渉できない。自分の内側には永久機関を生み出すことができる。誰しもね。

 

それこそがアイデアであり、想像力なのだ。

自分の内側に無限に燃え続けるエナジーの貯蔵室を作ろう。

その貯蔵室があれば、人は目標を失うことなく、努力というプロセスも苦痛ではなくなるだろう。

 

そしてそのアイデアが世界を変える。

例え世界を変えられなくてもいい。

誰か一人、自分自身の人生や生活でもいい。

 

自分の向かいたい方向に必ず変えることができる。

 

僕はそれにポテンシャル理論と名前をつけている。