Rhynie Chert-ライニーチャート-

それでもこの世界は美しい

シナモンロールと相対性理論

重力がなくては我々は生きることができない。

 

重力が我々が住んでいる世界のすべての元になっている。

だからこそ、それについて人類が知っていること全てを知りたい。

そんな望みを抱いた物理学徒である私が愛して止まない蔵書たちが並ぶのがこの本棚だ。

 

だがこの本棚はシェアハウスという、空間を共有したスペースの本棚であるから、ここは正確には私の本棚ではなく、あくまでわたしが借りているスペースでもある。

将来は一軒家を買い、仕事部屋の壁一面に大きな本棚を置き、そこに100冊ほどの物理学書・数学書を保管したいと考えているが、今はまだそれほどの余裕もないのでこの小さなスペースが、今の私の持てる全てだ。

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だが共有スペース故に、私の書籍たちの前にシナモンロールなるぬいぐるみが置かれるのである。

だがこういうことはここに住んでいるからこそ経験しうることだ。

一人で棚を作っていては、こういった自分の想像の範囲外の事態は起きない。

自分の外から何かがやってくる時、それは自分一人では生み出せないものがやってきたということ。もちろんそれを受け取る受け取らないは選択の自由であるが。

にしてもシナモンロールmeets量子力学ランダウ先生もびっくりしたことだろう。これらのコンテンツを支持している層が全然違うので異次元のコラボレーションである。

 

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だが最近、この人形が大きなインスピレーションになった。

というのは左と右のシナモンロールは4次元ミンコフスキー時空では同じ大きさであると考えることができるということだ。
左の大きいシナモンロール(CR1)は静止していて、右のシナモンロール(CR2)は光速に近い等速度で直進して移動しているから進行方向に収縮していると考えられる。
つまり我々には認識できないだけでCR2は光速に近い速度で運動しているのである。空間と時間のローレンツ収縮によりこの小さいCR2の方が寿命も長いのだ...!

 

というアイデアを得て、私はさらにもう一つ考えついた。

時間や空間は運動というものを通してその形を変える。

 

では人の気持ちや思いはどこへいくのかとふと思ったのだ。

例えば愛や憎しみといった感情は時間や空間を超えるのだとしたら、それは目に見える物質よりも奇妙なことになる。

 

熱力学の世界ではエントロピーが増大する方向を時間の矢と決めた。

エントロピー増大の法則にも、相対論も超えていくのは人間の感情ではないかと思えるのだ。

 

例えば、このシナモンロールを私の本棚に置いた人の意思は直接は私に感じることはない。だがそれが置かれているということを私が視覚として認識したということから、その人の意思が物質を媒介して伝わったとも考えられる。(空間の期待で光が歪むのと同じで、媒質によって意思も歪められるが。ここでの歪むとは、発信者の意図の精度100%で伝わらないということ。それは言葉という媒体を使っても同じ。)

 

意思は時間や空間を媒介してどこまででもいけるのだろう。

ちなみに4次元モンコフスキー時空における世界線の線素は座標変換によらず不変であるので、意思が時間や空間を媒介できるなら、一瞬にして世界線を媒介して宇宙の果てまで行けるのかなんて考えたりもした。

 

人が誰かを思うとき、思われる人はただの観測者で、自分の知らない世界で時間がゆっくり流れていることを知らない。感情がすれ違いそうになった時、違う方向を向いていたベクトルの符号も計量テンソルが合わせてくれる。そして一つの世界線を作れる。これが共変と反変のベクトルだ。

世界にはそんなベクトルで満ち溢れていることに我々が気づけたなら、我々は適切なテンソルを作る努力をすることが重要なのだ。

 

そういうことをふと考えるきっかけになっただけ、このシナモンロールには価値があると言えるのかもしれない。