Rhynie Chert-ライニーチャート-

それでもこの世界は美しい

可能性はいつも縮退している

今日は僕の研究テーマである原子物理と、人生そのものの考え方を絡めたものを読者の皆さんに提供したい。

 

原子物理の世界には縮退という性質がある。原子というのは、100億分の1mというものすごい小さなスケールの話であるが、しかしその原子というものが、1兆×1000億個集まったものを1つの単位として(これを1molという)、このユニットが集まることで我々の目に見える物質世界の全てを構成している(もちろん、空気とか、宇宙とかも含めて全部)。逆に辿ると、私たちの身の回りの物質をどんどん小さく分割して1個の原子という小さい世界にたどり着くと、この世界では僕たちの世界では成り立たないことも起こる。その性質の一つが縮退というものだ。原子の中には沢山の電子がいるが、その電子は好き勝手な場所にうじゃうじゃいるのではなく、一個一個の電子にはこの辺りまでがテリトリーという電子の家のような区間が定められている(これが電子軌道というやつである)。電子の位置を正確に知ることは不確定性原理というまた別の制約があってできないが、それでも、電子が移動できるのはこの辺りの領域までという制限がかけられている。そしてそこをわかりやすく電子の家ということにしておこう。(原子物理を知っている方向けに言うと、1sとか2p軌道そのもののことをここでは家と言っている。1s軌道なら綺麗な球状の空間全部が1sにいる電子の家になるし、2p軌道なら、8の字型の空間全てが2p軌道の電子の家になる)電子は基本的にそれぞれの家の場所のどこかに存在しているが、はっきりその座標を知ることができないというのが不確定性原理である。しかし基本的に電子は自分の家の外に出ることはできない。隣の家に移動するには、となりの家の共鳴周波数と同じEnergyの電磁波を浴びないと電子は移動できない。

そしてそこまでは水素原子のシュレディンガー方程式の解であるラゲールの陪多項式ルジャンドル陪関数の積で説明することができる。そしてこの軌道を決めるのは軌道量子数lと磁気量子数mというやつで、この数字が電子の家のサイズと形を決めているのだが、基本的にはこれらは水素原子においては縮退と言って重なっている。つまり、大きさと形の違う家は重なっているのだ。(量子力学を知っている人向けにいうと、主量子数nで定まる準位は独立していて重なっていないが、さらにそこから一個下の構造を考えると微細構造となり、ここではs軌道やp軌道は縮退している。この時スピン軌道相互作用や外部磁場、外部電場は考えていないことに注意)しかしそれらは電場(シュタルク効果)や磁場(ゼーマン効果)を受けることで重なりは解け、独立した家が現れてくる。何が言いたいかというと、人間の可能性もそうで、自分にとっての人生の分岐点は常に縮退している可能性があるということだ。

 

zeemann splitting

例えば図で言うところのP stateというところには、-1,0,1という3つの磁気量子数mがの作る家が重なっているがこれは磁場をかけると重なりがとけ、それぞれ独立した家になる。さらに上のd stateというところを考えると、-2,-1,0,1,2という5つの家が重なっているが、これも磁場をかければ重なりがとけ、独立した5個の家になる。重なりが解けることを縮退が解けるというが、人生の選択肢と思えば、外部の要因によって人生の分岐点はどんどん広がっていく。

さらに、電子自身はスピンという上向きと下向きの量を持っていて、これを用いてさらに縮退が解けることもある。これは電子自身の性質によるものであるから、外部の相互作用でなく内部の相互作用(内部自由度)と呼ばれる。

interaction & degeneracy

上の図を見ていただければ、わかるが、spinによっても分裂は起こる。spinの上向きや下向きというのは他の電子との相互作用にも影響を受けてひっくり返ったりする。つまり、自分自身の変化によっても人生の帰路は変わるということを電子の世界が教えてくれているように感じる。

 

このように考えてみると、僕たちの生きる世界と電子の住んでいる世界というのはなんとなく共通性があるように感じる。もし僕たちがたった一個の電子とするならば、他の電子や外部の場から影響を受けて次々に縮退が解けて違う家に移ったりしているのは、まさに僕たちの人生に似ている。他者や外界からの影響を受けて人生どんどん分岐していく。

今、目の前が行き詰まったように感じている人も、自分の可能性に気づけていない人も、それはもしかしたらまだ縮退しているだけかもしれない。それ相応の周波数を貰えば簡単に縮退は解ける。

 

僕たちは無限の可能性に気づくべきだ。

自分達が可能性の塊であることを信じるべきだ。

 

ここまで読んでくれてありがとう。それではまた会おう。

自分の中の違和感は大切にすべきという話

皆さんは初対面の人に対して「なんか、この人嫌な感じする」とか「なんかこの人、理由はわからないけど生理的に受け付けない」といった感覚を覚えたことが人生で一度はあるのではないだろうか。

 

そして、その経験から、そのように感じた人に対してどのような関わりが生まれていったのかを特に嫌でなければ振り返ってもらいたい。今回も僕の経験談と感覚をもとに、僕の考えをここに残しておこうと思う。

 

基本的に、自分の直感は信じるべきだ。つまり、そのように感じた人や、「なんかここ嫌な感じがする」という空間からは離れられるならすぐに離れるべきだ。もちろんいつもそうではないことは理解しているし、そのようにすぐ離れることが難しい時はトラブルに巻き込まれないように線を引いて関わってほしいと思う。

僕の経験上、初対面や初見でそのような嫌な感覚を感じた人や空間と最後までうまくいった試しがない。もちろん、途中はなぜかうまくいったように感じることもある。そして、「人は話せばわかるものなのだ」と思い、最初の自分の感じた嫌な感覚は、その人に関する情報が少ないことによって連想した先入観なのだと思い、その人とは一時的に良好的な関係を気付けているように感じることがある。しかし途中までは良くても、必ず最後には何らかの問題・障害が生じてその人との関わりが終了することが極めて僕の人生には多かった。そしてそれはただ困難が去るのみではなく、僕の心や財布に大きな傷や損害・損害を残して終わることが多かった。

 

26年間生きてきて、僕が確信したことは、「自分の直感は信じるべき」ということだ。

そしてそれは、自分にとってそれが必要なものなのか、それとも自分の心に傷を残してくるものなのかをよく知っている。

 

今日は僕のその直感を裏付けるものについて考えをまとめておきたい。

僕は今年に入ってから物理学、特に原子物理に関する研究を進めている。元々原子という小さなスケールで起こっている世界の現象に興味があったので、このテーマを選択したことは正解だった。

原子物理の世界で考えられているルールと、今回の「自分の直感は信じるべき」という確信に共通の法則性があるように感じたので、その話を織り交ぜながら僕の直感を根拠づけていこうと思う。

 

まず、原子物理の世界には①エナジー準位と②共鳴周波数という考え方がある。①に関してだが、まず自由粒子の一定ポテンシャルにおける量子力学シュレディンガー方程式を解くことで、調和振動子の解を得ることができ、その解からEnergy準位の構造を見ることができる。そしてそれは自由粒子だけでなく、水素原子に対してもシュレディンガー方程式を解くことで、調和振動子よりもっと複雑な電子軌道というものを得ることができる。この電子軌道というところには、特定の周波数のEnergyを持っているものしか入ることができない。もちろんそれより少し大きかったり小さかったりしても入ることはできない。きっかりちょうど同じでないと入ることができないものと考えていただきたい。そしてこの電子軌道というものには、重なっているもの(縮退という)と元から分裂しているものがある。例えば水素原子ならピッタリ重なっていても、RbやSrといった原子物理でよく使われる原子では量子欠損という現象によって元から重なりが解けているものもある。ざっくりいうと、原子の中で電子の居場所は階段状に決められているが、その階段が重なっているものとそうでないものがある。そして、例えばその階段の1段目と3段目とか(もちろん他の段も全て)は簡単に移動することができず、その段数と同じ高さのEnergyがお釣りなしでちょうどきっかりないと移動することができない。さらに、2段以上階段は一気に飛び越えることができないという制約もある。つまり、1段1段をきっかりそれと同じ高さ分飛び越えるジャンプ力で飛ばないと次の段に移ることができない。そして、そのちょうど一段飛び越えるだけのEnegyのもつ周波数を共鳴周波数という。なぜ共鳴周波数などという名前がついているかというと、その階段を飛び越えるちょうどのenergyは光(電磁波)のEnergyそのものであり、そのEnergyはE=hν(hはプランク定数という決まった定数、νが振動数)という式で表されるので、電子と光が共鳴する周波数ということで共鳴周波数という名前がついている。つまり、電子が共鳴周波数と同じ電磁波を浴びると、その電磁波を吸収し、Energyを得て一個上の階段にジャンプすることができる。これを励起という。そして電子が励起するためには、この共鳴周波数はちょっとでも小さかったり大きかったりしてはいけない。もしそうだったら電子は共鳴を起こさず、全く光のEnergyを吸収できずジャンプすることができないのだ。ドンピシャの振動数の電磁波を浴びないと電子は次の段にジャンプできない。

そして、さらに励起した電子はずっとそこに止まり続けることはできなくて、すぐにその光をはいて元いたところに戻ってしまう。これを自然放出という。(もう一つは電磁波を浴びて逆に光を放出する誘導放出というのがあるがここではその原理については深く触れない。主に量子光学という分野でよく出てくる。脱毛などで馴染み深いレーザーなども、実はこの考えをもとに発明された。ちなみに誘導放出の概念を考えついたのはアインシュタインである。)

 

長々と話をしたが、僕が言いたいことは、原子でもこのルールが成り立つなら人間もどこかこのルールに近いものが適応されているはずだということである。なぜなら人間も原子の集合体だからである。つまり、人間にもそれぞれ出している周波数があり、その周波数がピッタリ同じ人同士であれば共鳴したりするということである。例えば人間の脳はシナプス同士が電気信号を出し合ってやりとりをしているわけだが、物理学ではベクトルポテンシャルスカラーポテンシャルとローレンツ変換という考え方を用いて電気と磁気は互いに変換することできる。そして電気と磁気は互いに振動し合って空間を伝播し電磁波になる。これが光であり、光であるということは周波数を持っている。つまり人間の思念から放たれる周波数は存在し、その周波数に近いもの同士は共鳴し合い、互いに励起する。(つまり高揚感が生まれたり、やる気がみなぎってきたりする)

人間にとって居心地の良い人と悪い人がいるのはこのようなその人の持つ周波数に対して脳が直感的にそれを受信し、それを快・不快と考えているのではないかと僕は考えている。

逆に誘導放出のように、周波数次第ではEnergyを放出してしまうことがある。これこそが不快感のもとであると僕は考えている。

 

例えばその人といるときは楽しくても、帰り道や帰りの電車でどっと疲れを感じたりする場合は、周波数的には合っているわけでない可能性が高い。つまり疲れを感じるということはそれほどその人との関わりに、無意識下でEnergyを奪われているということだ。

 

我々が生きていく上で、Energyは源であり、生きる活力である。それを常にじわじわと奪っていくような人間関係や環境に対しては自分の心身の不調というSOSが必ずくるようになっている。稀に好転反応といって、良い状態になる前に悪いものが出ていくということで体調が悪化したり高熱が出たりすることが言われたりするが、この考え方は違っていて、悪いものが出ているのではなく、Energyを大量に奪われてしまったので体が動かなかくなってしまっているのだと考えている。だからこそ、急激な心身の不調を感じた時、我々は自身の人間関係や環境を見直せという本能的な身体からのメッセージだと僕は考えるようにしている。逆に、大きくEnergyを活性化させてくれる環境もある。自分が一つ先に励起するための周波数の備わった環境に巡り合うと、とても体調がすぐれるし、活発にもなる。ちょうどおととい愛知県の岡崎市にある分子科学研究所に行ってきたが、そこでの活発な量子力学の研究と、その環境の人々に僕は大変刺激を受け、自分自身が活性化するのを感じた。

 

そこでもらったEnergyのおかげで、こうしてまたブログを書けている。

 

よく世間一般では、「先入観で物事を考えるな。まずはやってみろ」という言葉を耳にする。なんて無責任な言葉だと僕は思う。まずはやってみるはいいが、その結果取り返しのつかないことになってもその人は何の保障もしてくれないのだ。確かに先入観がただの思い込みで、実際にやってみたら違うこともある。しかし、それはずっと続けて行っても問題がないものであるかどうかまではわからない。決して僕はアクティブであることを否定しているわけではない。それをいうと、最初の「直感を信じる」という僕の前提と矛盾してしまう。これをしてみたいという直感はもちろん信じるべきで、実行してみるべきだ。それが社会に不利益をもたらすと確定しているものでない限り。しかし、どうも嫌な感じがするという事柄に対して「先入観で物事を考えるな。まずはやってみろ」などという言葉を投げかけてくる無責任な不届き者に対しては、その人間の言葉に耳を傾ける必要は全くない。自分の直感を信じるべきだ。そしてそれは人間関係にしてもそうだ。初対面では根拠はないけど「合わない気がする、嫌な感じがする」という人間には常に注意を払っていた方がいい。もしかしたら表面上はいい人でも、本当はあなたに対して何か邪なことを考えているかもしれないから。そしてそれはあなたの本能があなたに知らせるアラームかもしれないから。

 

かつて僕に一方的に暴力を振るい、治療費の支払いの示談で丸く収めた事件があったが、加害者に対しては初対面から違和感を感じていた。だが話す前から決めつけるのは良くないと関わっていき、話すうちにお互いに分かり合えたと思った頃に、相手との価値観の相違でどんどん関係が拗れ、最終的に相手が逆上して暴力に出た。

それから他にも、一見価値観が合って話が合って楽しいと感じるのに、なぜかその人たちと解散した後すぐに体調を崩したり、言いようのない違和感を感じる人たちがいた。年も近くて関わりやすいと思っていたのになぜ自分の心身は拒絶感のようなものを出すのだろうと不思議に思っていたが、のちにその人たちの集まりに行くとそこは某宗教法人の集会場で、入信させられそうにもなった。

このように、僕の経験上、初対面から違和感を感じる場合は最警戒の対象で、最新の注意を払いながら接することにしている。さらに一見楽しく話せても、解散した後に急に謎の疲れ(この時感じる疲労は脳の疲労であるが、集中して勉強した後のような心地よい疲労でもなく、筋トレして汗を流した後の心地よい疲労とは別の、何か脳の一部の大切なところがえぐられたような不快な疲労)を感じる時も、深いところで関わると必ず途中で齟齬が生じで拗れたりするという経験則から、一定の距離感を持って踏み込まないようにしている。

 

私はこのブログを読んだ皆様が、自分の違和感に気づいて、それを大切にしてほしいと感じる。なぜならそれは先入観ではなく、本当にあなたへの警告をあなたの本能がしている可能性が高いから。

誰かの無責任で無保証の言葉ではなく、自分自身の感覚を信じてほしい。そして可能なら、その違和感のある人間関係を解消する方向や、警戒しながら深入りしないという方向で自衛してもらえるといいと思う。

これからしばらく混沌の時代に入っていく。だからこそあなた自身の感覚を信じてほしい。それではまた会おう。ここまで読んでいただいてありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

邪悪な人間の見抜き方。彼らから自分自身を護る方法。

現代は情報社会と呼ばれる。昔から人が人を搾取する構造は存在していたが、現代では顕著にその傾向があるように思う。

若い人々は恋愛をする上でも、常に保険をかけつづけ、SNSを通じて知り合った人々の中に自分の2番手3番手となる保険を用意しストックする。そうすることで1人目の恋人とうまくいかなかったとしても、保険をかけていたストックの中から予備のボールペンのように2人目、3人目とコンタクトをとり、場合によっては恋人に内緒に会ったりして孤独感や性的欲求を満たすのだ。

 

これは現代のしきたり・風習のようなものであり世の中は現状そういう風習の中でまわっているという意識を持ってこの社会を生き抜いていく必要がある。「恋人に裏切られた」と泣きを見る前に、世の女とは、男とはそういうことを平気でするものだと身構えていた方がいい。逆にいうと、そうではない人に出会えた時、その人のことは絶対に離してはならないと僕は思う。

 

決して僕は現代のこのような異性の人間替え玉文化を肯定するわけでは全くない。寧ろこれは社会の歪みであり。早急に修正されなければならない課題であると考えている。いき過ぎたルッキズムの生み出した社会にとっての癌であるくらいに僕は考えている。しかし、現在の社会がそのようであり、無批判な大衆たちはこの文化に甘んじている。そして他の誰にも言うことなく、自分の身の上の秘密として複数の異性と逢瀬を重ねているのが多くの若者の現状である。

これを読んでいるあなたが、それを常習的にしている人なのかもしれないし、あなたの信頼しているパートナーが実は隠れてそのようなことを行っているかもしれない。それは決して分かり得ない。だからといって、僕はパートナーの携帯を盗み見たり位置情報アプリで互いの位置情報を管理することは全く薦めない。信頼のないパートナーシップほどただ虚しいだけであり、そしてそれはパートナーシップの寿命を大幅に減らすであろう。そのような状況下では長期的な関係を持続するのは難しい。

 

こんな時代だからこそ、相手の本質を見抜く力が求められている。もちろん、その能力は遥か昔から重宝されてきたものであるが、習得するのは中々に難しい。ある一定量の精神的ダメージや、騙されて傷ついたりした経験がなければ見抜けないこともあるからだ。しかし、平均的に4~5人ほどの異性と親密に関わっていけば現代社会では高い確率でそのような傷つく経験をすることになると思うし、なんなら自分がそのようなことをして相手を傷つけてしまうこともあるだろう。

 

これまでの僕の恋愛経験から得てきた教訓をここで皆様に共有しておきたい。

それは、「目を背けず現実を見ようとする姿勢」である。

僕たちの脳は普段10%程しか使われていないと言われる。それは、脳は多くのカロリーを消費するので機能を本能的に制限することで生命維持を図っているというものである。しかしそれでも、いつも見ている風景において雲の量が多い時に違和感を感じるなど、この違和感というものを人間は感覚でよく感じ取れるようになっている。チェルノブイリの事故の時も、人間の目には放射線は見えないはずだが、この日の作業員はなぜかいつもと違う違和感を感じたという証言もある。

 

この感覚というのがとても大切で、私たちは日常の中でいろいろな違和感を感じながら生きている。そしてそれは無意識に「いつもの状態」と比較して直感的に違和感を感じている。逆説的に捉えるなら、普段から「良いもの」に触れておくことがそのような違和感に気づかせてくれる。

 

もちろん、そのためには環境と知識が重要なことは言うまでもない。しかし、そのようね環境に恵まれない場合もある。そのような時は、できるだけ先人たちの知恵を得ることが重要だと僕は考えている。僕は量子物理学者のDavid Deutschの書籍を何度も読んだ。人生に困ったとき、いつもこの本を開いた。なぜなら当時の僕を理解してくれる人間は誰もいなかったし、そのような環境にも恵まれなかった。だからこそ、孤独の中でも何かを掴み取る必要があった。その中で必要だったのは圧倒的に意思だった。環境に流されてない、自分の人生を自分で掴み取るための圧倒的に意思。そしてその意思は一冊の本が作ってくれたのだ。

 

そして時を経て10年、僕は今夢を掴みかけている。恋愛に関してもそうだった。自分の違和感を大切にできるように、できるだけ多くの異性と話をしてみたし、その中で僕自身のことを替え玉候補や都合よく利用できる道具だと考えている邪悪さを持った人間を見抜けるようになった。

それは、性別かかわらず自分のことを認めてくれる人々に僕が出会ってこれたからだ。自分は恵まれていたと思う。だからこそ僅かな光明でも気がつける必要がある。意識を自分に集中させることだ。その中で、自ずと邪悪さを持った他者と接した時、その違和感を感じ取れるようになる。邪悪な人間から自分自身を守れるようになる。

 

そして、人の邪悪さに敏感になったもう一つのエピソードがある。それは、教育実習などを通してまだ醜い世間のパラダイムに犯されていいない純粋な子どもたちと接する機会があったからだ。彼らと接している時、僕はいつも自然になることができた。それは、彼らのなかから邪悪さを感じなかったからだ。人を陥れ、打算的なものとしてしか人のことを考えれないような邪悪さを持った子どもには、僕はありがたいことに出会わなかった。おかげで僕は、もう少し大人との付き合い方を考えられるようになった。

 

認識し、気づくということ。そこを踏み外さなければ距離感も間違えずに済むだろう。このブログを読んでくれたあなたが、邪悪な人間に気付き、自分自身を守れようになることを願う。

 

 

 

教育実習最終日の思い出

教育実習が終わって2日が経過した。

昨日よりかは胸に空いた喪失感は無くなってきたように思う。

覚えているうちに最終日の1日のことをここに残しておこうと思う。僕にとって、生涯忘れられない日となった1日のことを。

--------------------------------------------------

2024/9/21(土曜日)

今日は朝4時に目が覚めた。昨日で研究授業が終わったので疲れもあって10時半には眠りについた。何度も違うタイミングで目が覚め、深夜の1時、2時と1時間おきに目が覚めた気がする。

今日は教育実習の最終日。長かった教育実習も、今振り返ってみると、なんだか短く感じる。

 

いつものように朝の支度を始める。教育実習2日目に、愛媛県の親友から米が届いたので、その米を毎日夜に炊いて次の朝おにぎりにして持っていっていた。買った米ではなく、親友の実家の人が作った米を僕に送ってくれたのだ。どんなに不安な時も、この米を食べると僕は不思議と元気が出てきたのを覚えている。愛媛県愛南町のお米。食は生きる上でとても大切なものだと、実習を通して改めて思った。

 

まずはおにぎりを作り、そしてのこったお米と味噌汁、納豆をその日は食べた。腕立てを100回だけしてシャワーを浴び、メイクをする 。最後にYシャツを着てスラックスを履いたら、中退した高校のネクタイを結ぶ。

僕は基本的にネクタイは黒いものしか持っていない。オシャレ用は黒い細いタイだけで十分なのだが、仕事用としては黒は適さないので、捨てずにとっておいた高校時代の制服のネクタイをいつもつけていた。だから3週間いつも同じ柄のネクタイ。生徒にも僕のネクタイの柄は覚えられていたと思う。

 

そのネクタイをして、自分の首から下を眺めると、中学高校時代の朝の時のような陰鬱な気分になる。自分の母校の制服のスラックスの色は紺色だったし、Yシャツには学校の紋章が小さく胸ポケットには入っていたが、それ以外、今の自分の格好は制服とほとんど着心地も雰囲気も変わらなかったからだ。学校に行きたくなくて仕方なかったあの頃の気持ちを思い出す。そして毎朝制服を着続けたその記憶は高校1年の3月で途絶えている。僕は高校1年の3月で高校を中退したからだ。卒業式というものは小学6年以来経験していない。

 

そんな風に着替えが終わって出発できる状態になると、時間は6時10分くらい。これくらいがいつも僕が家を出るちょうどいいタイミングなのだ。

僕は誰もいない部屋を後にし、カバンに必要なものを詰めて家を出る。いよいよ今日で実習最終日。昨日で研究授業が終わり、もう僕がしなきゃいけない授業は残っていないから、朝の授業の準備も必要ない。いつもとは少し楽な気持ちで家を出発した。

 

実習先の学校から200mくらい離れたところに大きなスーパーマーケットがある。そこのスーパーマーケットに6時50分くらいに到着し、沢山の菓子折りが売っているのでそこからお世話になった先生に渡すものを3つ選んで購入した。

そしてそこから学校に向かおうとしたのが7時過ぎだった。その時、僕の目の前を自転車で実習先の学校の生徒の1人が通り過ぎた。その生徒は僕がクラスの担任代理をしているクラスの生徒の1人だったからすぐに気がついた。「あ、おはよう!」僕から声をかけた。するとその生徒は少し恥ずかしそうに会釈をし、自転車で目の前をそそくさ通り過ぎていった。

普通、朝の7時は生徒はほとんど登校していない。それにその生徒はいつもそんな朝早くに登校しているイメージがない。こんな朝早くに珍しいと思ったが、もしかしたら家が学校の近くでたまたま朝コンビニとかに自転車で買い物に行ったところにでも遭遇したのだろうかと思って、気にしないことにした。

 

そしてその後、朝の7時10分には学校に到着する。そして担任の先生に挨拶をし、教育実習生の日誌を受け取る。

するとその先生が日誌を僕に渡すとき、「今日で最後ですね。悔いのないようにやってくださいね」と優しい言葉で僕に伝えてくれた。「はい。頑張ります。本日もよろしくお願いいたします」と僕は少し自分の未来への希望と寂しさの入り混じった表情と声で先生に挨拶をし、実習生の控え室へ向かった。

今日の最高気温は31度。今の時間帯は27度。本当に残暑なんていうレベルではなく、初夏レベルにずっと暑い日が続いている。学校には毎日汗だくで登校している。

今日も汗をかきながら階段で控室のある5階へ向かう。職員室は1階で控室は5階。毎日階段で移動するのも、僕の中高時代を思い出す。いつもそうだった。朝いつも階段で校舎の4階まで登るのが中学3年の時の思い出だった。

 

レーニングを積んだ僕にとって、階段の移動は苦ではなかったが、汗が余計に噴き出すのが辛かった。僕以外の実習生たちは階段の移動も苦痛だったようで、足が痛くてたまらないと嘆いていたのを覚えている。

 

中高時代は階段をいっぽいっぽと踏みあがり、自分のクラスの教室に向かうたびにどんどん憂鬱な気分になっていったのを覚えている。だが、今は違う。僕は自分の控え室へと向かうのに、一歩一歩希望を持って踏み出せていた。

それはこの学校のおかげだ。この学校の生徒も先生も、そして同期の実習生たちもみんな素晴らしい方達ばかりだった。この学校にくるまで、学校という場所は腐敗しきっていた陰湿な場所だったが、この実習先の学校はそうではなかった。生徒たちの心が輝いているのが見える。教室も校舎の位置関係がいいのか、どの時間帯も光が差し込んでとても明るかった。

そして3週間、一度も朝雨が降ったことがなかったのも奇跡的だった。この学校の朝はとても明るいのだ。生徒がほとんど登校していない朝の教室は、澄み切っていて、なんだか未来の希望そのものに見えた。

 

そして少し時間が経つと、生徒がぞろぞろと登校して始める。そうこうしているうちに職員会議の時間になる。同期の1人が実習生の代表挨拶をしてくれたのを覚えている。

 

そして職員会議が終わってすぐ、教室に向かうことにする。「これが最後のHRだね」同期の実習生たちとそんなことを言い合い、それぞれの教室に向かった。

 

朝教室に来て、全員に「おはようございます」と大きめの声でいう。何人かは返してくれる。すると返してくれた生徒たちにまたおはようと僕から個人個人に対していう。

そして全員が揃っているのを確認する。朝欠席連絡が来ている人とは別に、連絡なしで空席になっているところを一つ見つけた。担任の仕事はまず、生徒が全員揃っているか確認し、連絡なく来ていない生徒には、親に連絡する必要がある。

 

その空席を僕は覚えて後で担任の先生に伝える。これは僕がしっかり不在者を確認できているかの審査でもある。最終日といえども、1日も気を抜くことができない。生徒がもし途中で事故に遭ったら、なんらかの事件に巻き込まれたら?そういう視点を持つことが教師には重要なのだと学んだ。

 

時間が来たので一旦HRを始める。全員に「ではHRを始めましょう。起立」と言うと、このクラスの生徒たちは本当によく担任の先生の教育が行き届いていて全員がすぐに起立することができる。「礼」でみんな「お願いします」と言って座ることができる。

 

ここまでのことができるだけでも凄い。そうではない落ち着きのない学生も僕は過去に見てきたからだ。

 

そしてこれが僕にとっての最後のHRとなる。「着席」僕のこの一言で生徒たちは着席する。

僕はこんなことを話した。

「みなさん、おはようございます。みなさんは正しく知識を得る方法について考えたことはありますか。世の中のニュースの全てが本当なわけじゃない。だからこそ今皆さんが学んでいること、そして好きなことを調べることを大切にしてください。いつかそれはどこかで皆さん自身を助けてくれる武器になるかもしれないから。

今日で僕の実習は最後になります。今日の終礼の時に言葉を考えておきます。今日も一日頑張りましょう。」

 

どこまで伝わったかはわからない。だけど、僕にとっての勉強する意味の答えはこれだった。今僕の目の前にいる生徒たちと同じ年齢の頃にはまだ気づけていなかったけど、この生きづらい社会を生き抜く中で僕が感じてきたことを伝えた。そして、今僕の目の前の未来に進もうとする学生たちが、自分だけの勉強する意味を見出してほしいと思った。

 

HRが終わった後、担任の先生にお礼を言い、僕は控室に戻る。そして1限から3限まで理科の授業を見学し、4限目で最後のフィードバックを指導教員の先生にいただいた。

「中山先生は将来どうする?」

「大学院に行って修士を出た後、教師を志そうと思います」

「そうか。僕も実習生の頃、自分は本当に何も知らないのだと思った。自分が一番アホだと思った。だから死ぬ気で勉強した。」

「先生、僕も実習を通して自分が本当に何にも物理を理解していないのだということを理解しました。これから大学院で死ぬ気で学びます」

「大いに励んでください。応援しています。」

 

こんなやりとりをしたと思う。僕は指導教員の先生にも恵まれ、大変優秀な先生の元で指導の方法に関して教示していただいた。感謝しかない。

 

そして最後のHRの時間がやってきた。まずは1階の職員室に行き、今日のHRで生徒に伝えるべきことが掲示板に書かれているので、それをメモする。しかしメモする量が多く、終礼の時間ギリギリになってしまった。その後ダッシュで1階の職員室から階段で教室がある4階まで駆け上がり、なんとか教室にたどり着いた。

終礼の時間を1分過ぎていたように思う。これは後で最後の日に何をしてるんだと担任の先生に怒られてしまうなと思いながら、申し訳ない気持ちで教室に入った。

すると、いつもは終礼時間ギリギリで慌てて着席する生徒たちが、全員綺麗に揃って、自分の席に着席している。生徒を待たせてしまった、申し訳ないと思って「遅れました、すみません」と謝りながら教壇に登った。

 

すると、なぜか生徒たちが笑っている。いったいどういうことだろうと思って後ろを振り返ると、黒板にはたくさんの寄せ書きと、黒板のど真ん中に可愛らしいキャラクターの絵と「中山先生へ ありがとう」と大きく文字が書いてあった。

僕はまさかそんな風に生徒たちに思ってもらえていると思わなくて目頭が熱くなったのを覚えている。自分は3週間しかいなかった身分で、僕はむしろ生徒から沢山のものをもらった側だったのに、こんな風に送り出せてもらえることがあまりにも嬉しかった。

真ん中に大きく描かれたキャラクターは僕の好きなキャラクターだった。すごく上手く描けていた。

「この絵、すごく上手だね。」

すると、担任の先生が

「その絵を描いてくれたのは〇〇さん。朝から準備してたんですよ」

先生の言う、○○さんは、僕が朝スーパーの近くで遭遇した生徒だった。

今日のために、早朝から学校に来て準備をしてくれていたのだ。

 

そしてそれだけじゃなかった。

学級委員長が僕に生徒からの寄せ書きの色紙をくれたのだ。委員長は「クラス全員分集めました。ありがとうございました」と言ってクラス全員分の寄せ書きの色紙を僕に渡してくれた。

僕は実習期間中、何度このしっかりした学級委員長に救われたかわからない。この方は僕よりしっかりしているし、正直中高生には全く見えない。精神的には大人と変わらないくらいしっかりしていたし、クラスの他の生徒からの人望もあった。

 

感極まった僕は、生徒たちに向かって感謝の言葉を述べ始めた。

「みなさん、本当にありがとうございます。このクラスのみなさんは、本当に他人の気持ちを理解することができ、共感し、そして相手の痛みが分かる素晴らしい生徒ばかりです。ここまでの人間性豊かなクラス、僕は見たことがありません。僕の母校はとんでもなく荒れていました。人より秀でていれば嫉妬され、反感を買い、人より劣ればそれを馬鹿にしたりいじめをしたりするような連中ばかりでした。そしてそれが僕にとっての日常でした。だけどここのクラスのみなさんは、互いに教え合い、分かち合うことができる。本当に優しさのある人たちばかりです。僕は、みなさんの10年後が本当に楽しみです。3週間ありがとうございました」

 

僕が委員長から色紙を受け取る様子を担任の先生がビデオカメラで収めてくれていた。

担任の先生はその後僕に話してくれた。「教育実習は一生に一度です。僕も年に一度教育実習の頃を思い返し、初心に帰っています。」

もしかしたら、担任の先生は僕のこの一生に一度の機会がかけがえのないものになるように、生徒さんたちに事前に今日のことをサプライズとして企画して伝えてくれていたのかもしれない。

 

もう1人、僕のクラスでの実習を支えてくれた副担任の先生もいる。その先生からも言われたことがある。「私もいまだに教育実習の頃を覚えています。いまだにその時もらった色紙を見返します。教育実習の思い出って、本当にかけがえのないものなんですよ」

 

僕にとって、人生で一番幸せな日となった。

自分の命を、人生を誰かのために使えるということがこんなにも素晴らしいのだということを僕は実感した。

 

話はまだここで終わりではなく、その後控え室にいると、僕によく話しかけてくれていた生徒が何人かわざわざ控室まで来てくれたのだ。

「中山先生はこの後どこに行くんですか?」

「中山先生はこの後どうするんですか?このまま先生になるんですか?」

そんなことを聞かれたと思う。

「僕は大学の研究室に戻るよ」

「このまま大学院まで行って、その後教師になろうと思う。」

「教師はどこでやるんですか?もしかして母校で教師するの?」

「それはさすがにないと思うよ」僕は笑いながら答えた。

「じゃあまたこの学校に戻ってきてくださいよ」

「ここ採用厳しそうだから難しいかもね。本当に実力ある先生しか雇ってくれないかも」そんなことを返したが、生徒からそんなふうに言ってもらえたことがとても嬉しかった。僕のような人間が、こんな素晴らしい学校の生徒に受け入れてもらえたことに、そして引き続き働いてほしいと言われたことに。

こんなに自分は幸せで良いのだろうかと思った。

 

僕は、高校を中退しているから、卒業というものを知らない。だけど、間違えなく今日という日が、長かった僕の「卒業」のように感じた。

今まで自分を支配していたしがらみや支配からの卒業。そして闘いからの卒業。目の前にあったのは間違えなく生徒たちによってもたらされた「平和」と「希望」だった。

 

これから未来に続く長い坂道を僕も、彼らも登っていく。そしてその途中でたまたま互いの世界が交差し、僕は素晴らしい生徒たちに出会うことができた。お互いに全力で夢を追いかけていれば、またどこかで交差する瞬間が来るかもしれない。

その時まで僕は、自分を磨き続けておこうと思う。

次会うときは、僕も立派な大人になったと胸を張れるように。

 

 

教育実習を終えて

教育実習が昨日で無事に終了し、今日の朝目が覚めた時のことから書こうと思う。

実習中はどんなに遅くても22時半には寝て、4時には起きていた。その睡眠サイクルは3週間で完全に僕に染みついたので、今日も朝4時に目が覚めた。そして今日から始まるのは、昨日までと違う1日。実習期間が始まる前日まで僕が送っていた日常。

 

いつもなら起きてすぐ、腕立てを100回し、髭を剃って寝汗を落とすためにシャワーを浴び、コンタクトを入れてその日の弁当を作る。そしてその残りを朝飯にし、インスタントの味噌汁を一緒に食べてメイクを始める。化粧水を塗ったらコンシーラーで青髭を隠し、ファンデーションを塗って眉毛を描くだけの簡易メイク。そのあと白シャツにスラックスを履いて、中退した高校の制服のネクタイをYシャツの襟に結ぶ。母校の高校は大嫌いだったが、制服のネクタイのデザインが好きで、高校から離れて10年半経ったいまでもその時のネクタイを持っている。そしてこの起きてからの一連の流れを毎日のルーティーンとして繰り返すのが自分にとっての日課であり、そして実習中はこの日課が終わることなく一生続くかのようにとても長く感じながら3週間を過ごした。

いつもなら僕はそのまま学校に向かい、朝の8時には生徒の前で朝礼をやる。教室に行き、委員長が「みんな座って」と生徒をまとめてくれる。僕は担任の先生が教室の後ろで見守る中で、「みんなおはよう。起立しようか」と大きな声で言う。

それがいつもの僕の生活だった。そしてそこから始まる学校での1日が、僕にとっての3週間の全てだった。そしてそれはまるでずっと続くかのように思われていた。

 

だけど今日の朝はそうじゃない。もう、そのルーティーンをしなくてもいい。僕にとって永遠に続くと思われたその日課は役目を終えた。しかしなぜか、僕の心はなんだか物寂しい気持ちでいっぱいで、心の中に穴が空いたようなそんな少しの喪失感も感じていた。

実習前はとにかく早く教育実習が終わってくれと思っていた。夏休み中に指導案を作成していて高熱を出して倒れたこともある。自分にとって実習は地獄だと思っていた。確かに最初の1週間に関しては、これほど辛いものはなかった。明日、自分の命が消えてしまえばどんなに楽だろうと思った瞬間もあった。

僕にとって、学校という場所は苦痛そのものでしかなかった。中学も、高校も。だから母校とは違うとはいえ、学校という場所に近づくことに、そしてその中に入ってまたあの頃と同じように学校生活を今度は教師として送るということにとんでもないストレスがあった。教壇、黒板、机、そして、教室。あの学校という空間に近づくだけで冷や汗をかいてしまうし、強迫性障害のように、学校に通っていた頃の精神的苦痛が蘇ってきて、僕はいますぐにでもこの場から消えたいと思ってしまっていた。

 

だから最初の1週間はとても辛かったのを覚えている。夜中に胃の痛みで目が覚めるくらいだった。だけど2週目からは担任の先生からHRを任せてもらえるようになり、自然と生徒と接する機会が増えた。その中で生徒たちが僕に対してよく接してくれるようになった。

生徒たちは育ちが良いのか、人の気持ちがわかったり人の痛みがわかったりする生徒ばかりで、学校に対して恐怖心を抱いている僕の気持ちを察してくれたのか、生徒の方から僕に歩み寄ってきてくれたのを覚えている。

僕は、もっと中学生というのは残酷で、さらに東京の中学生なんて人に興味のない冷酷なものだとずっと思っていた。だが、そこに居たのは僕の抱いていたイメージと全く違う、温かみのある生徒たちだった。

 

すると、2週目3週目となっていくたびにどんどん自分もそのクラスの生徒たちが怖く無くなっていったし、何より学校という場所が怖く無くなっていた。夜中に胃の痛みで目が覚めることも無くなった。学校に行くことを楽しいと自分は思えるようになった。

 

僕が確信したことがある。やはり目には見えなくても、魂のようなものや輪廻転生というのはあるということ。魂レベルで僕より遥かに達観した年下の生徒たちが沢山いた。すでに彼らは人というものを感覚的に理解し、そして互いに痛み合うことができる。彼らに僕は救われたのだ。そして、高校を中退して以来時間が止まっていたままだった高校時代の幻影の僕を成仏させてくれ、それによって時計の針はまた動き出した。

 

この出会いはとても貴重だった。僕にとってこの東京という街は絶望だらけだった。16歳で高校を中退し、1人で上京した僕にとって、この東京という場所は腐りきっていた。どこを見渡しても利己的な人間しかいない、人が人を労働力だと考え、金と考え、道具と考えている世界。ホストクラブで少し働いていた時、女性たちは食い物にされ、思考を奪われ、自分の人生を奪われていた。そんな、人が人を喰う世界。

 

そんな絶望だらけの世界で見つけた希望。それが彼ら生徒たちだった。彼ら生徒たちに出会うまでの僕は大学院の院試を機に早くこの東京から出たくて仕方がなかった。だけどこの東京にもまだ希望が残っていたことを僕は知った。

 

そしてもう一つ、僕の実習教科の物理に関してだ。物理の指導教員は僕が持たせていただいたクラスの担任の先生とは別の先生だったが、その先生との出会いは僕にとって一番の財産とも言えるくらいだった。(もちろん1番のTreasureは生徒たちとの出会いだった)。授業に関する指導は厳しかったが、言われたことを忠実に実行すれば授業中の生徒の反応が良くなった。

それによって授業における説得力という生徒の信頼も得ることができた。その指導教員の先生も修士まで出て教師になった人だった。多元数理の入試に失敗した僕にとって、修士を出た後教師になるという選択肢も与えてくれた。

 

僕はこの3週間の実習を経て、沢山の貴重なものを得た。それは、教師は生徒に知識を授けるのではなく、時に生徒と共に悩み、時に生徒の立ちはだかる壁となり、生徒自身のポテンシャルを引き上げることだということ。それを僕は偉大なこの学校の先生方から学んだ。

 

自分にとって大切な生徒だからこそ、時に失敗をさせ、時に困難に挑戦させ、そして成功体験を得る場所を提供する。これこそが教師のあるべき姿なのだと僕は感じ取ることができた。学校を卒業して大人になった時、彼らは自分の頭で考えこの腐った世界の中を生き抜いていかないといけない。この底なしの絶望だらけの狂った世界を歩んでいかなければならない。そのためには誰よりも知恵という武器と、他者を思いやる精神が必要だ。この世界がより良い世界になるために。

 

僕は実習最終日の朝のHRで生徒たちに話したことがある。それは「知識を武器にしてください」ということ。前で眠そうにしていた生徒もいたが、これだけは伝えておきたかったから伝えた。1人にでも響けばいい。そう思って僕は話をした。大人になっていく中で、仕事をする、恋愛をする、そしていつかは人を育てる立場になる。

 

だからこそ、自分で生き抜く力を持ってほしいと思った。その重要性を僕は伝えたかった。

 

そしてそのままその日最後のHRを迎えた時、教室に入って僕は驚きの気持ちを隠せなかった。黒板に「中山先生 ありがとう」という大きな文字を中心に、その周りに沢山の生徒からの寄せ書きが書いてあったのだ。

今思い返しても、涙が出そうになる。

自分は生徒たちから貰ってばかりで、何かを与えることができたのだろうかと、今でも思ってしまう。

 

それでも彼らなら、将来大成功するだろうと僕は確信した。本当に素晴らしいクラスだった。本当に素晴らしい学校だった。ただただ、ありがとう以外に言葉が見つからない。

 

僕の人生にとって、最も幸福な1日となった。

僕の人生にとって、これ以上に今日まで生きててよかったと感じた日はなかった。

 

そして実習の最初に与えられた、「どんな人格形成を生徒にしてほしいか」という僕なりの答えが出たのでそれを話してこの記事を締めたいと思う。

この学校ではすでに、人格形成ができている生徒が多かった。だから僕はむしろ生徒から人格形成のあり方を学んだのだ。その答えとは、「他人の痛みを理解し、歩み寄る力」

これは物理という授業を通しても行える。自分が理解したことをまだ理解していない人の立場になって教えるという時間を作ることだ。僕は自分の授業の中でできるだけ多くその時間を取れるように尽力した。そしてそのような時間を作るだけで、その心をすでに持っている彼らは教え合いを始めていた。僕は彼らの美しい心に感銘を受け、心を動かされた。

 

そしていつか、彼らによって世界は変わる。人と人が潰し合う世界から、人が人を痛みあえる世界へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教育実習2週間が終了して思うこと。

皆様お久しぶりです。

教育実習も2週間がちょうど経過し、日曜の夜にこのブログを書いている。

 

今の時代では、教育実習は高校免許のみなら2週間、中学校と高校合わせての教員免許なら3週間となっている。僕は中学と高校両方の免許取得を目指しているので3週間実習期間が定められている。つまり実習期間の2/3経過した状態だ。

 

実習は月曜〜土曜までで日曜は休みになっているが、3周目は月曜日が祝日なので最終週は5日間だけで全ての実習が終わる。

 

この2週間でさらに多くの収穫を経たので、このブログに残しておこうと思う。僕が教育実習に行くのを躊躇っていた理由は、高校という場所が一つのトラウマだったからである。自分が中退した高校のことを思い出すと、制服というものを着させられ学びたくもないものを強制的に受けさせられ、授業は教師がダラダラ喋るだけで生徒にはほとんど喋らせない、そして何かあるごとに教師はネガティブな発言をし、生徒を根拠なく批判し、生徒の将来に対して心無いことを発言する。そんな場所だった。今でも覚えている。自転車で校門の近くに来ると頭痛がして入りたくなくなる。そんな場所だった。

 

最初の1週間目は胃の痛みで目が覚めるくらい辛かった。しかしこの学校の先生方や他の実習生、そして生徒たちは素晴らしかった。学校の運営人や先生方が大変な努力をされてこの環境が実現されているのだと僕は感じることができたし、その方々のおかげで、この素晴らしい学校での実習は楽しく、僕はついに学校に通うことが苦では無くなった。全ての授業の先生の授業が面白い。主体的・対話的学びというワードが最近ではよく聞かれるが、大学では机上の空論でその具体的な話などは一切出てきていなかった。しかしこの学校ではそれが完全に再現されていた。生徒たちは授業中に発言することも、質問することも、躊躇うことなく学ぶことを楽しんでいるし、休み時間にも友人たちと教え合いをしている。こんな学校に僕は今まで出会ったことがない。

誰も成績で人を見下すこともなければ、成績による序列・格差のようなものも存在しない。くだらないマウントを取り合う生徒もいない。

皆が協調性を持って助け合っている。

自分がもしまた日本人として生まれ変わったなら、絶対にこの学校に入学して学びたいと思うほどに、この学校は素晴らしかった。

 

授業終わりに生徒が質問に来てくれたり、質問をしてくれたりすると、僕は授業の中で生徒に「なぜ」を与えることができたのだと達成感を得ることができた。

 

残り5日間、僕は全力で、命の全てをかけてこの実習に取り組もうと思っている。

間違えなくこの学校は、僕に教師として生きる人生の選択肢を与えてくれた。

 

全力で、物理を通して生徒たちにぶつかりたい。その気持ちだけをもとに、僕は全力で授業をするつもりだ。

 

次は実習が終わった後にまたブログを書こうと思う。

それではまた会おう。

 

教育実習4日目が終了して思うこと。

最近ブログのアクセスがかなりコンスタントで固定のファンがついてきたように思う。

久々に更新をしようと思う。

僕は今教育実習期間中だ。教育実習の場所など、具体的には規約で言うことが許されないため僕の心情・心境の変化を軸に話をしようと思う。

 

まず教育実習初日を迎える前に僕がやったことは、指導案と授業資料の作成だった。8/17から作成を始めた。

しかしこれが中々進まない。自分はつくづく凝り性なのだど実感するし、気に入ったフォーマットになるまでテキストを何度も書き換える。

いつまで経ってもテキストが完成しないので、気づいたら研究室に泊まり込みで授業の準備を進めていた。

 

おかげで体調を崩し、謎の高熱と下痢と腹痛と頭痛でまる二日動くことができなくなってしまったりもした。

 

教育実習にあたって意識したことは、とにかく早く寝て早く起きること。毎朝4時までには必ず起きるようにしているし、22時までには寝るようにしている。

初日終了時には、あまりにも3週間が不安すぎて胃が痛くて、悪夢と胃の痛みで朝3時に目が覚めた。

 

僕はこの教育実習という活動を通して感じていることがある。

それは過去のトラウマからの解放。

これまで、学校という場所は僕にとって精神的苦痛を与える場所だった。高校1年の途中から不登校になり、1年の学期末で中退しなければならないほど、僕は精神的に追い込まれた。

学校への反抗、そして社会への反抗、教師への反抗、同級生への反抗。僕にとって、学校という場所は戦いの場所だった。

大学で教職課程を履修していて、同じ教職の履修者たちとグループワークなどでなぜ教職をとったのかという話をすると、多くの人間が「学生時代の恩師がきっかけ」という。それを聞くたびに、リアルの僕は「素晴らしい出会いをしたんですね。多分〇〇さん(目の前の人)が引き寄せたいい出会いだったんだと思います。」といつも僕はいい、相手の恩師も相手も否定しなかった。

だが俺の内心はいつもどうしようもない苛立ちを抱え、「恩師自慢なんかしてくるな。鬱陶しい」という湧き上がる感情を抑え込んでいる。僕はあなたたちと違い、そんな人に出会っていないし、学校なんていう場所が嫌いで嫌いで仕方がない。だからこそ、俺はかつての教師たち全てを反面教師にし、当時の俺が中退しないでいいようなあるべき教師に俺はなってやると、そんな気概で教職をとっていた。運よく恩師に出会えたあいつらと俺は根本的に動機が違うかったし、そういういわゆる「恩師きっかけ」教員志望が多すぎてうんざりしていた。もちろん恩師に出会えたことは素晴らしいし、そのような人生を変えてくれるくらいの存在に出会えるというのは、滅多にあることではない。だが、俺はそんな感覚を知らないんだ。俺は出会ってないんだ。そんな尊い存在に出会えた恵まれた奴らに、学校で否定され続けていた俺の一体何がわかる?といつもわめきたくて仕方がなくなっていた。

だが、俺はその恩師に出会えた奴らを否定することなく、目の前の話し手の全てを受け入れ、一緒になって恩師を肯定し賞賛することしかできない俺の気持ちなど、奴らには一生理解できないだろう。

人がどんな気持ちでお前らのその恩師自慢を聞いてやっているか想像もつかないだろう。耐え難い苦しみしか俺にはない。

 

それでも俺が教職を続けたのはそいつらへの反抗でもあった。自分は学校での恩師なんてものを知らない。だからこそ、俺にしか救えない僅かな人間に手を差し伸べられるのは俺しかいない。そう思っていた。恩師に出会えた奴らへの反抗。圧倒的反抗。それを実現するには俺が圧倒的な教師になるしかない。

 

そんな気持ちを持ち続け、学校という場所への不安と葛藤を抱えながら俺は教育実習に臨みはじめた。だが俺は4日目にして、いい意味でこの学校で途轍もない衝撃を受けることになる。

 

この学校には、僕が学校に求め続けたが叶うことはなかった多くのものがあった。それは規約で具体的に書くことはできない。だが、一つ言うなら「学校のシステムと先生方」これに尽きる。僕はこの学校の先生方を心から尊敬できると思った。

教育実習生である僕にまで、先生方は指導をしてくださり、しかも徹底的に指導をしてくださる。僕はこんなにも真剣に中学・高校という学校の先生に指導をしていただいた経験がない。

高校時代、質問に行けば「授業を聞いてなかったのか?」と言われ次回から質問に行く気などなくなるような教師しかいなかった。

僕はまず東京理科大の先生方を好きになった。それはどんな質問にも向き合ってくれる先生がいるからだ。そして今度はそんな自分の問いに徹底的に向き合ってくれる先生に実習先の高校で出会った。

この学校で出会った尊敬する先生の1人から言われた印象深い言葉がある。「生徒に答えではなく問いを与える教師になりなさい。」

 

僕はこの言葉を聞いた時、涙が出そうになった。

俺は中高で自分の問いの全てを否定された。教科書にない答えに価値がないと言われ続け、俺はそれに1人で逆らい続けた。1人でその理不尽な現実と戦い続けた。そして奴ら高校時代の教師に言われたその言葉が脳裏に張り付き、俺はその脳裏に焼き付けられた忌まわしき虚像と争い続けた。

しかし実際の教育現場で尊敬する先生からその言葉を聞いた時、俺の中に住み続けていた、高校を中退した時から時間が止まったままだった過去の俺が、そのまま成仏したのがわかった。

 

俺は、その先生の言葉のおかげで、自分の中に住み続けていた亡霊を成仏させることができた。

この出会いは本当に感謝してもしきれない。

 

中学生・高校生だった頃の俺は、プログラミング教育やタブレットによる教育が行われず、教師が50分チョークアンドトークで一方的に喋り続ける教育に常に違和感を感じていた。しかしそれをおかしいと言っても、理解してしてくれる人間は周りに誰もいなかった。しかしそれから11年。時代は進化し、時代は追いつき、当時の自分が学びたかったような理想に近い学校が、そこの敏腕校長をはじめとする多くの素晴らしい運営者・経営者により実現されていた。

 

そしてその経営陣の方々が、自分を実習生として受け入れてくれ、このような学びの機会を与えてくださることには感謝しかない。

 

不安な日々が続いた初日から4日目にして自分の気持ちがどんどん晴れやかになり、未来に対してどんどん希望が持ててきているのがわかる。

それは、この学校の先生・そして生徒が素晴らしいからだ。

まさか自分でこんなセリフをタイプする日が来るなんて思わなかった。こんなセリフ全て綺麗事だと思っていた。

 

もう一つ自分の中で、尊敬する先生に言われた言葉がある。

「君が物理を教えるなら、物理を通して生徒にどんな人格形成をしてほしいか考えなさい。」

一見高尚に聞こえるかもしれない。しかしその先生の授業を見学すると、この先生は授業の中に一貫した哲学と信念があり、かつ生徒に問いを生ませることを軸に授業をしているのが伝わってくる。「自分がこんな授業を受けれていたら、自分は学校を辞めずに済んだ」

そんなことを思わされるほど感動的な授業だった。

今でもその授業を思い出すだけで涙が出そうになる。

 

僕はその先生から一つの課題を与えられた。それは、

この実習が終了するまでに、俺の授業は物理を通して「どんな人格形成を生徒にしてほしいか」この答えを自分なりに見つけ出して教壇実習を行うということ。

 

教師も答えを求めるのではなく、問いを見出しながら授業をする。

 

俺は残りの時間で教員の卵として、そして未来の指導者として圧倒的に成長したいと思う。このチャンスを取りこぼさないために。

 

僕が一体どんな答えを見出したのか、読者にはそれを楽しみにしながら次の記事を待っていただきたい。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。