教育実習が終わって2日が経過した。
昨日よりかは胸に空いた喪失感は無くなってきたように思う。
覚えているうちに最終日の1日のことをここに残しておこうと思う。僕にとって、生涯忘れられない日となった1日のことを。
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2024/9/21(土曜日)
今日は朝4時に目が覚めた。昨日で研究授業が終わったので疲れもあって10時半には眠りについた。何度も違うタイミングで目が覚め、深夜の1時、2時と1時間おきに目が覚めた気がする。
今日は教育実習の最終日。長かった教育実習も、今振り返ってみると、なんだか短く感じる。
いつものように朝の支度を始める。教育実習2日目に、愛媛県の親友から米が届いたので、その米を毎日夜に炊いて次の朝おにぎりにして持っていっていた。買った米ではなく、親友の実家の人が作った米を僕に送ってくれたのだ。どんなに不安な時も、この米を食べると僕は不思議と元気が出てきたのを覚えている。愛媛県の愛南町のお米。食は生きる上でとても大切なものだと、実習を通して改めて思った。
まずはおにぎりを作り、そしてのこったお米と味噌汁、納豆をその日は食べた。腕立てを100回だけしてシャワーを浴び、メイクをする 。最後にYシャツを着てスラックスを履いたら、中退した高校のネクタイを結ぶ。
僕は基本的にネクタイは黒いものしか持っていない。オシャレ用は黒い細いタイだけで十分なのだが、仕事用としては黒は適さないので、捨てずにとっておいた高校時代の制服のネクタイをいつもつけていた。だから3週間いつも同じ柄のネクタイ。生徒にも僕のネクタイの柄は覚えられていたと思う。
そのネクタイをして、自分の首から下を眺めると、中学高校時代の朝の時のような陰鬱な気分になる。自分の母校の制服のスラックスの色は紺色だったし、Yシャツには学校の紋章が小さく胸ポケットには入っていたが、それ以外、今の自分の格好は制服とほとんど着心地も雰囲気も変わらなかったからだ。学校に行きたくなくて仕方なかったあの頃の気持ちを思い出す。そして毎朝制服を着続けたその記憶は高校1年の3月で途絶えている。僕は高校1年の3月で高校を中退したからだ。卒業式というものは小学6年以来経験していない。
そんな風に着替えが終わって出発できる状態になると、時間は6時10分くらい。これくらいがいつも僕が家を出るちょうどいいタイミングなのだ。
僕は誰もいない部屋を後にし、カバンに必要なものを詰めて家を出る。いよいよ今日で実習最終日。昨日で研究授業が終わり、もう僕がしなきゃいけない授業は残っていないから、朝の授業の準備も必要ない。いつもとは少し楽な気持ちで家を出発した。
実習先の学校から200mくらい離れたところに大きなスーパーマーケットがある。そこのスーパーマーケットに6時50分くらいに到着し、沢山の菓子折りが売っているのでそこからお世話になった先生に渡すものを3つ選んで購入した。
そしてそこから学校に向かおうとしたのが7時過ぎだった。その時、僕の目の前を自転車で実習先の学校の生徒の1人が通り過ぎた。その生徒は僕がクラスの担任代理をしているクラスの生徒の1人だったからすぐに気がついた。「あ、おはよう!」僕から声をかけた。するとその生徒は少し恥ずかしそうに会釈をし、自転車で目の前をそそくさ通り過ぎていった。
普通、朝の7時は生徒はほとんど登校していない。それにその生徒はいつもそんな朝早くに登校しているイメージがない。こんな朝早くに珍しいと思ったが、もしかしたら家が学校の近くでたまたま朝コンビニとかに自転車で買い物に行ったところにでも遭遇したのだろうかと思って、気にしないことにした。
そしてその後、朝の7時10分には学校に到着する。そして担任の先生に挨拶をし、教育実習生の日誌を受け取る。
するとその先生が日誌を僕に渡すとき、「今日で最後ですね。悔いのないようにやってくださいね」と優しい言葉で僕に伝えてくれた。「はい。頑張ります。本日もよろしくお願いいたします」と僕は少し自分の未来への希望と寂しさの入り混じった表情と声で先生に挨拶をし、実習生の控え室へ向かった。
今日の最高気温は31度。今の時間帯は27度。本当に残暑なんていうレベルではなく、初夏レベルにずっと暑い日が続いている。学校には毎日汗だくで登校している。
今日も汗をかきながら階段で控室のある5階へ向かう。職員室は1階で控室は5階。毎日階段で移動するのも、僕の中高時代を思い出す。いつもそうだった。朝いつも階段で校舎の4階まで登るのが中学3年の時の思い出だった。
トレーニングを積んだ僕にとって、階段の移動は苦ではなかったが、汗が余計に噴き出すのが辛かった。僕以外の実習生たちは階段の移動も苦痛だったようで、足が痛くてたまらないと嘆いていたのを覚えている。
中高時代は階段をいっぽいっぽと踏みあがり、自分のクラスの教室に向かうたびにどんどん憂鬱な気分になっていったのを覚えている。だが、今は違う。僕は自分の控え室へと向かうのに、一歩一歩希望を持って踏み出せていた。
それはこの学校のおかげだ。この学校の生徒も先生も、そして同期の実習生たちもみんな素晴らしい方達ばかりだった。この学校にくるまで、学校という場所は腐敗しきっていた陰湿な場所だったが、この実習先の学校はそうではなかった。生徒たちの心が輝いているのが見える。教室も校舎の位置関係がいいのか、どの時間帯も光が差し込んでとても明るかった。
そして3週間、一度も朝雨が降ったことがなかったのも奇跡的だった。この学校の朝はとても明るいのだ。生徒がほとんど登校していない朝の教室は、澄み切っていて、なんだか未来の希望そのものに見えた。
そして少し時間が経つと、生徒がぞろぞろと登校して始める。そうこうしているうちに職員会議の時間になる。同期の1人が実習生の代表挨拶をしてくれたのを覚えている。
そして職員会議が終わってすぐ、教室に向かうことにする。「これが最後のHRだね」同期の実習生たちとそんなことを言い合い、それぞれの教室に向かった。
朝教室に来て、全員に「おはようございます」と大きめの声でいう。何人かは返してくれる。すると返してくれた生徒たちにまたおはようと僕から個人個人に対していう。
そして全員が揃っているのを確認する。朝欠席連絡が来ている人とは別に、連絡なしで空席になっているところを一つ見つけた。担任の仕事はまず、生徒が全員揃っているか確認し、連絡なく来ていない生徒には、親に連絡する必要がある。
その空席を僕は覚えて後で担任の先生に伝える。これは僕がしっかり不在者を確認できているかの審査でもある。最終日といえども、1日も気を抜くことができない。生徒がもし途中で事故に遭ったら、なんらかの事件に巻き込まれたら?そういう視点を持つことが教師には重要なのだと学んだ。
時間が来たので一旦HRを始める。全員に「ではHRを始めましょう。起立」と言うと、このクラスの生徒たちは本当によく担任の先生の教育が行き届いていて全員がすぐに起立することができる。「礼」でみんな「お願いします」と言って座ることができる。
ここまでのことができるだけでも凄い。そうではない落ち着きのない学生も僕は過去に見てきたからだ。
そしてこれが僕にとっての最後のHRとなる。「着席」僕のこの一言で生徒たちは着席する。
僕はこんなことを話した。
「みなさん、おはようございます。みなさんは正しく知識を得る方法について考えたことはありますか。世の中のニュースの全てが本当なわけじゃない。だからこそ今皆さんが学んでいること、そして好きなことを調べることを大切にしてください。いつかそれはどこかで皆さん自身を助けてくれる武器になるかもしれないから。
今日で僕の実習は最後になります。今日の終礼の時に言葉を考えておきます。今日も一日頑張りましょう。」
どこまで伝わったかはわからない。だけど、僕にとっての勉強する意味の答えはこれだった。今僕の目の前にいる生徒たちと同じ年齢の頃にはまだ気づけていなかったけど、この生きづらい社会を生き抜く中で僕が感じてきたことを伝えた。そして、今僕の目の前の未来に進もうとする学生たちが、自分だけの勉強する意味を見出してほしいと思った。
HRが終わった後、担任の先生にお礼を言い、僕は控室に戻る。そして1限から3限まで理科の授業を見学し、4限目で最後のフィードバックを指導教員の先生にいただいた。
「中山先生は将来どうする?」
「大学院に行って修士を出た後、教師を志そうと思います」
「そうか。僕も実習生の頃、自分は本当に何も知らないのだと思った。自分が一番アホだと思った。だから死ぬ気で勉強した。」
「先生、僕も実習を通して自分が本当に何にも物理を理解していないのだということを理解しました。これから大学院で死ぬ気で学びます」
「大いに励んでください。応援しています。」
こんなやりとりをしたと思う。僕は指導教員の先生にも恵まれ、大変優秀な先生の元で指導の方法に関して教示していただいた。感謝しかない。
そして最後のHRの時間がやってきた。まずは1階の職員室に行き、今日のHRで生徒に伝えるべきことが掲示板に書かれているので、それをメモする。しかしメモする量が多く、終礼の時間ギリギリになってしまった。その後ダッシュで1階の職員室から階段で教室がある4階まで駆け上がり、なんとか教室にたどり着いた。
終礼の時間を1分過ぎていたように思う。これは後で最後の日に何をしてるんだと担任の先生に怒られてしまうなと思いながら、申し訳ない気持ちで教室に入った。
すると、いつもは終礼時間ギリギリで慌てて着席する生徒たちが、全員綺麗に揃って、自分の席に着席している。生徒を待たせてしまった、申し訳ないと思って「遅れました、すみません」と謝りながら教壇に登った。
すると、なぜか生徒たちが笑っている。いったいどういうことだろうと思って後ろを振り返ると、黒板にはたくさんの寄せ書きと、黒板のど真ん中に可愛らしいキャラクターの絵と「中山先生へ ありがとう」と大きく文字が書いてあった。
僕はまさかそんな風に生徒たちに思ってもらえていると思わなくて目頭が熱くなったのを覚えている。自分は3週間しかいなかった身分で、僕はむしろ生徒から沢山のものをもらった側だったのに、こんな風に送り出せてもらえることがあまりにも嬉しかった。
真ん中に大きく描かれたキャラクターは僕の好きなキャラクターだった。すごく上手く描けていた。
「この絵、すごく上手だね。」
すると、担任の先生が
「その絵を描いてくれたのは〇〇さん。朝から準備してたんですよ」
先生の言う、○○さんは、僕が朝スーパーの近くで遭遇した生徒だった。
今日のために、早朝から学校に来て準備をしてくれていたのだ。
そしてそれだけじゃなかった。
学級委員長が僕に生徒からの寄せ書きの色紙をくれたのだ。委員長は「クラス全員分集めました。ありがとうございました」と言ってクラス全員分の寄せ書きの色紙を僕に渡してくれた。
僕は実習期間中、何度このしっかりした学級委員長に救われたかわからない。この方は僕よりしっかりしているし、正直中高生には全く見えない。精神的には大人と変わらないくらいしっかりしていたし、クラスの他の生徒からの人望もあった。
感極まった僕は、生徒たちに向かって感謝の言葉を述べ始めた。
「みなさん、本当にありがとうございます。このクラスのみなさんは、本当に他人の気持ちを理解することができ、共感し、そして相手の痛みが分かる素晴らしい生徒ばかりです。ここまでの人間性豊かなクラス、僕は見たことがありません。僕の母校はとんでもなく荒れていました。人より秀でていれば嫉妬され、反感を買い、人より劣ればそれを馬鹿にしたりいじめをしたりするような連中ばかりでした。そしてそれが僕にとっての日常でした。だけどここのクラスのみなさんは、互いに教え合い、分かち合うことができる。本当に優しさのある人たちばかりです。僕は、みなさんの10年後が本当に楽しみです。3週間ありがとうございました」
僕が委員長から色紙を受け取る様子を担任の先生がビデオカメラで収めてくれていた。
担任の先生はその後僕に話してくれた。「教育実習は一生に一度です。僕も年に一度教育実習の頃を思い返し、初心に帰っています。」
もしかしたら、担任の先生は僕のこの一生に一度の機会がかけがえのないものになるように、生徒さんたちに事前に今日のことをサプライズとして企画して伝えてくれていたのかもしれない。
もう1人、僕のクラスでの実習を支えてくれた副担任の先生もいる。その先生からも言われたことがある。「私もいまだに教育実習の頃を覚えています。いまだにその時もらった色紙を見返します。教育実習の思い出って、本当にかけがえのないものなんですよ」
僕にとって、人生で一番幸せな日となった。
自分の命を、人生を誰かのために使えるということがこんなにも素晴らしいのだということを僕は実感した。
話はまだここで終わりではなく、その後控え室にいると、僕によく話しかけてくれていた生徒が何人かわざわざ控室まで来てくれたのだ。
「中山先生はこの後どこに行くんですか?」
「中山先生はこの後どうするんですか?このまま先生になるんですか?」
そんなことを聞かれたと思う。
「僕は大学の研究室に戻るよ」
「このまま大学院まで行って、その後教師になろうと思う。」
「教師はどこでやるんですか?もしかして母校で教師するの?」
「それはさすがにないと思うよ」僕は笑いながら答えた。
「じゃあまたこの学校に戻ってきてくださいよ」
「ここ採用厳しそうだから難しいかもね。本当に実力ある先生しか雇ってくれないかも」そんなことを返したが、生徒からそんなふうに言ってもらえたことがとても嬉しかった。僕のような人間が、こんな素晴らしい学校の生徒に受け入れてもらえたことに、そして引き続き働いてほしいと言われたことに。
こんなに自分は幸せで良いのだろうかと思った。
僕は、高校を中退しているから、卒業というものを知らない。だけど、間違えなく今日という日が、長かった僕の「卒業」のように感じた。
今まで自分を支配していたしがらみや支配からの卒業。そして闘いからの卒業。目の前にあったのは間違えなく生徒たちによってもたらされた「平和」と「希望」だった。
これから未来に続く長い坂道を僕も、彼らも登っていく。そしてその途中でたまたま互いの世界が交差し、僕は素晴らしい生徒たちに出会うことができた。お互いに全力で夢を追いかけていれば、またどこかで交差する瞬間が来るかもしれない。
その時まで僕は、自分を磨き続けておこうと思う。
次会うときは、僕も立派な大人になったと胸を張れるように。