俺が東京理科大学で人生を変えるまでの話。少し前置きが長くなるが許していただきたい。
まだ俺が15歳の時、東京都江戸川区篠崎駅から徒歩15分の家賃4万7千円のアパートに住んでいた頃にまで話は遡る。
この頃の俺は家出したばかりでようやく仕事が見つかり、住むところを確保でき、まだ部屋に家具は何もなかったころだ。時代は2014年の11月。電気代も節約するため電気も使わず、6畳半の真っ暗な部屋で夜の20時、当時主流だったiPhone5sをスクロールしネットサーフィンをする。
それが15歳で学校にも通わず、毎日泥だらけになりながら工事現場で働く少年の1日の終わりの唯一の時間つぶし。学校の勉強は大嫌いだった。仕事終わりに勉強するなんてことはもちろんなかった。
雇ってもらった工事現場の方々は様々な人生のバックグラウンドを持っていて、特にそこの親方は学歴は無いが非常に優秀だった。定時制の高校を21歳で卒業し、独学で2級建築士を取得し1人で会社をおこし、家庭を持ち、江戸川区に家を建てていた。仕事はとにかく厳しかった。だが今思い返せば、社会不適合者の僕に人とのコミュニケーションの仕方を教えてくれた偉大な人であったと思う。高校に通わず僕が学んだことは、人は生き抜く力の方が重要で、大学を卒業したという学歴は必須では無いということ。
徳島県内の私立高校に通っている時には絶対に気づけなかったことだった。その学校は偏差値の高い大学に入ることを目的とする中高一貫校で、大学進学率は100%の学校だったからだ。当然、高卒や中卒なんてものは暗黙の了解で論外であり、俺が高校を中退するという噂が広まったときは、大して仲良くもなかったやつが煽りにきたことを覚えている。
当時の僕は日本の学歴社会に疑問を感じていた。それは今でも変わらないが、当時はもっと過激に批判的感情を抱いていた。教科書に書いていることは絶対では無いからこそ、どうすれば教科書に無い新しい事実を生み出せるかということを考えていた僕にとって既存の知識の運用をただ高速に処理できる能力を見るような試験に何も意味を感じていなかったし、それでは研究者は育たないと思い続けていた。
「教科書に書いてあることは絶対ではない」このことをスローガンに俺は高校で提供される教育の一切を批判し定期試験の勉強も一切しなかった。そして地元徳島の高校を中退し上京した。
しかしそんな俺にも夢があった。それは15歳の頃によく調べて胸が躍った量子コンピュータだった。まだ今の時代以上に取り上げられていなかったし、日本語の情報はほとんどなかった。量子力学についても全く理解していなかったがとにかく興味があった。
「高校の勉強は大嫌いで全く興味がないけど、とにかく量子力学と言うものを勉強してみてみたい」
俺はこんなことを言う奇妙な子供だった。だが、量子力学と言うのは普通大学の物理学科で2年次以上で開講されている授業であり、数学の素養なしには理解するのは難しいものである。
だが高校の勉強もするのは嫌だったし、ましてや大学に入るためにはまた高校の勉強をしなくてはならない。それは嫌だった。だが、そんな俺にも学習の場を与えてくれたのが東京理科大学理学部第二部物理学科だ。
ここは社会人特別推薦入試という制度があり、面接一本で入ることができる。高校を中退していても、高卒認定試験を受けて合格しておけば簡単に受かる。
ちなみに高卒認定試験はとても簡単なので、普通に高1レベルの数学が分かっていれば誰でも受かる。
この偏差値重視の狂った世の中で、純粋に学問を志すものがどんどんと息苦しくなるような世の中で、たとえ物理以外が壊滅的でも物理を志す気力さえあれば受け入れてくれるのがここ理科大の2部なのだ。
俺は紆余曲折を経て、ここに23歳の時に合格した。あまりにも長かった。受験を志して8年後に俺は理科大に入学した。物理を学べてとにかく幸せだった。今、俺は4年生になり、理科大最後の1年を卒業研究と院試の勉強に費やしている。
その中で、もちろん物理以外の雑務・勉強に追われて激昂したこともあったが、振り返ってみれば全てがいい思い出だったと思う。
詳しい学生生活やカリキュラムについてはまた詳しく書こうと思う。
今日はこの辺にしておく。読んでくれてありがとう。