Rhynie Chert-ライニーチャート-

それでもこの世界は美しい

誰もがみな、意味もわからず生きているから

自分は何のために生まれてきたのだろう。

そうはっきり考えたのは小学一年生くらいの時だったと思う。

 

あの時の僕には何もなかった。

未来も夢もなかった。何になりたいとか何がしたいとかもなかった。

同じクラスメイトの子たちには、サッカーが得意な子、バスケが得意な子など、そういう才能に恵まれた子たちがその当時から頭角を表し始めていた。

でも自分には何ができるんだろう。それがわからなかった。

自分にできないことができている子たちを羨ましいとも思った。

 

その頃、世田谷一家殺人事件の特集をテレビで見た。それまでの僕はいろんなものに守られながら生きていて、自分が死ぬなんてことを考えたこともなかった。だけどその生々しい事件の全貌を流すテレビの映像は当時の僕には恐ろしく、そこから3ヶ月ほど、恐怖で眠れない日が続いた。その映像がきっかけで、夜中誰かが侵入して自分の命を奪いにくる、本気でそんな気がしてまともに眠ることなんてできなかった。

夜の8時には布団に入れと言われていた。そして布団に入るが全く眠れない。永遠にあるかのような時間の中で、布団の中考え事をして何とか寝れたと思って目が覚めた時は、まだ空が暗い。朝の3時や4時にはいつも目が覚めていた。

 

朝になれば気分は穏やかだった。クラスメイトたちに会えば、不思議とその怖さもなかった。だがまた家に帰れば世にも恐ろしい感覚と不安が永遠に自分を苦しめた。

自分が殺されるかもしれない。本気でそう思っていた。今思え返せば大袈裟な子供であったと思う。しかしそれが確実に、死ぬことが怖いことだと自分に知らしめたのだ。

死んだら何も残らないと、そう心から思った。

 

そして小学五年生になった時、自分にとって拠り所だと思っていた学校が一気に苦しい場所に変わる。純粋だった子供たちは負の感情を覚え、人を平気で傷つけ冒涜するようになった。そんな中でも僕は自分の正義を貫きたかった。彼らに合わせて、気を遣って何かをするのがとても嫌だった。すると彼らは僕を標的にし始めクラス全体でのいじめが始まった。当時の僕は学習塾に通わせてもらっていたことや、学校の先生によく褒められてしまっていたことがきっかけでクラスメイトたちからの嫉妬や反感を買ってしまい、よく彼らは僕を排斥の標的にした。

その頃からだったと思う。人とは何か考え始めたのは。学校の先生や両親から何らかの期待をかけられそれに応えようとしている自分、そしてそんな自分を見て嫌がらせをするクラスメイト、人と人の感情の隙間の中で、なぜ人が同じ人同士を攻撃し合うのか理解ができなかった。

 

遺伝子には種の生存のための本能が仕組まれている。だとしたら、同種同士で争い合って何になるというのか?だが社会を見渡せばあらゆる場所に競争という仕組みがプログラムされ、人と人が互いの差異に優劣をつけて階層を作ることを是とする社会構造が何世紀も前から構築されてしまっている。当時小学生だった僕は、小さな学校という社会から人間の負の部分に直面し、いつも寝る前にこのままいっそ自分が目覚めなければ良いのにと思いながら床についていた。

 

小学六年になると、クラスメイトにも恵まれ、行きたい中学にも合格でき、充実した一年を過ごせたと思う。しかし今度は中学に入ると僕はいじめや嫌がらせの対象になった。世間知らずな、裕福な家に生まれて甘やかされただけの彼らはしっかりと道徳教育を受けていないのではないかと疑わざるを得ないほど倫理観の欠如した人たちの集まりだった。そして担任の先生は「今ここで勉強をサボった人間は社会の底辺で働かなければならない。それか名の知れてない大学を卒業し無能な人間になりたくなければ、良い大学を目指して勉強をしろ」というとんでもない選民思想を持った危険な教師であった。

だが当時の僕はそれが最善の道だと錯覚していた。働いたことがない中学一年の自分にとって社会で働くことはブラックボックスであった。だから影響力の強い教師にそう言われた時、僕は逆らうことができなかった。服従する道を選んだ。

そして成績が上がれば上がるほど、余計にクラスメイトの嫉妬を受け、いじめは過激になっていった。クラスメイトの四人が殴る蹴るというリンチ状態、そしてそれを見て集まるギャラリー達。集まってきた見物人達は面白そうにこちらを覗くだけで、もちろん誰も助けてはくれない。それでも、学校に行くことをやめれば勉強についていけなくなって良い大学にいけなくなってしまうという強い思い込みが、僕を学校に通わせ続けた。今でも覚えている。朝8時半に校門の近くに来た時、「もうここから先には行きたくない」という強い思いが湧き上がってくる。それでも僕は振り切って学校に行かなければならなかった、高い私立の学費を両親にも出してもらっていた。もちろん両親は僕の学校でのそんな状況は知らない。本当に孤独だった。地獄のような日々だった。生きているのに、生きている実感がなかった。

 

僕の通っていた中学は中高一貫校で二年から成績別にクラス分けが行われた。厳しい状況の中でも勉強を続けて成績を上げ続けていたことが、皮肉にも僕を救うことになり、その制度に救われて嫌がらせをしていた彼らとは離れることができた。

だがそれも束の間、運命は僕を試そうとどんどん試練を与えてくる。今度は担任の先生がクラスの連帯責任なる謎の感覚を持っている方々で、それまで個人ゲームだった僕の学校生活に、クラスの平均点が悪いと全員が怒られるといったような今までにはない共産的な考えが導入されたクラスに配属になってしまった。

それがとにかく合わなかった。僕のクラスは問題児が多かったので、毎日のように担任がホームルームで機嫌を悪くし怒鳴るといった状況で、ただただ気分が悪かったのである。科目担任の先生も変な先生ばかりで授業を通して否定的な言葉やネガティブな思想を押し付けてくる人たちの割合が大きかった。

 

「何なんだこの学校は」

僕のフラストレーションは限界にまで来ていた。中学三年に上がった時、母に告げた。「母さん、俺高校には進学しない」。それを聞いた母は狂ったように僕を叱りつけてきた。息子が真面目に考えて出した結論に、向き合おうともせず、じっくり僕の心情やその結論を出した理由を聞くこともなく、頭ごなしに高校に進学することを強制してきたのだ。だが、僕はこれ以上この学校での生活に未来を感じていなかったのだ。高校のカリキュラムでは僕のやりたい物理学はできないことも判明した。

それでも母は僕を高校に強制的に進学させた。それでも最初は黙って通い続けた。しかし僕はもう我慢の限界だった。中学一年の時から、降りかかってくるさまざまな試練を乗り越え続け、理不尽に耐え、大人達にとって都合の良い子供でいる、それをこの後僕は何年続ければ良いんだ?このまま一生か?自分の意志のない人生を送り続けるのか?

僕は毎日のように自分に問い続けた。そしてその結果、高1の冬休み、高校に通うことをやめたのだ。

毎日のように母親との大喧嘩だった。お互いに一歩も譲らない。その時が初めて母に激しく反抗した時だったのかも知れない。今思い返せば、自分という存在が自立するために必要な過程であったのかも知れない。何とか母は折れ、高校一年修了時点でついに正式に退学をした。形としては単位取得退学であったが、それ以降、その単位を使うことはなかった。

 

自分を縛り付けるもの、そしてその理不尽に耐え続ける長い我慢、これは今の僕にとって最も許せないものの一つであり、いまだに何の根拠もなく重圧をかけられると僕は激昂し反発する。小学五年生の夏休みから高校一年までの約5年半、僕は我慢と戦い続けていた。世の中にはもっと多くの我慢を強いられている人はいるかも知れない、だがそれでも僕にとってこの5年半は耐え難い屈辱的なものであった。そしてその理不尽を僕に与え続けた反面教師達をベースに、今の僕のあるべき教師像というのはできているのだろうと思う。

 

長い間の抑圧から解放された僕はまた一つの壁にぶつかった。それは、「本当に自分がしたいことは何か」それがわからないということだ。その後すぐに家出をして放浪の旅に出る。そしてあの名古屋や東京の記事に繋がるのだ。

今まで誰かに与えられたものをこなしていただけの自分にとって自分で何か道を作るということは本当に大変なことであった。多くの人が何も考えずひかれた上のレールを歩くだけで結局やりたいことがわからず途方にくれ、そのまま大学を卒業してやりたくもない仕事をする。抑圧された学生時代を送って大学生や社会人になってから派手な遊びにハマって身も心も壊したりする人もいる。

今の僕にとって、物理学をやるということが一つの目的であることは言うまでもない。

しかしそこに気づくまで多くの遠回りをしたことも事実であった。

 

さて、長々と話をしてきたが結論に入ろう。人は皆、生まれた時から自分が何者であるかなんて知らないし知りようがない。何か人に役割を与えられて生きているということがほとんどだ。かといって他者に与えられたその役割に多かれ少なかれ不満を感じながら生きている。だからある日無秩序な何もない世界に放り込まれると、途端にどうして良いかなんてわからなくなる。いろんな人生の節目節目で自分はなぜ生きているのか?そんなことを考える瞬間が出てくるのは自然なことだし、そもそも死の直前になっても自分が生まれた意味を知ることはないのであろう。

言い換えれば、永遠に答えのない世界で生きるということだ。

しかし、人生全般に言えることだが、正解や答えというのは存在しないことの方が多い。物理学の世界でも、考察の対象を理想的な対称性のある世界ではなく、現実のこの世界を対象にした瞬間に解が定まらないカオスな状態に入ってしまう。

 

答えの無い世界で生きるためには、自分が生きる理由を見出さなくては生きていくことはできないのかも知れない。何かをする、作る、誰かを愛する、何でもいい。

ほんの些細な理由でいいから、自分が生きる理由ではなく、「今自分が死んではいけない理由」これを見出せたらきっと人生は豊かなものになるのかも知れない。

それが到底できないというのであれば、何も考えず流れに身を任せて生に身を預けてみるだけでも何かが変わってくるのかも知れない。

ただそれでも僕は、自分の意志の全く関与できないロボットのような生活を送ることには激しく抵抗したい。そういう意味で、僕の人生のテーマは逆らうことなのかも知れない。

僕にとって「死んではいけない理由」それは「理不尽に逆らい続けなければならないから」と結論づけられるかも知れない。

そしていつか僕のそんな姿勢が、誰かの目に留まって広がり続け、それが世界を変えるまで。