咲き誇る花のように
世の中にはいろんな人がいる。
世界の人口は現在78億人。
1人1秒ずつ出会っても、一生涯の人生では全員には出会えない。
だから世の中にどういう人がいるのかって、案外知ることは難しい。
なのに人は自分の身の回りの世界で常識を作る。
世界の全てをみたわけでは無いのに、自分の知っている偏狭な世界だけを世界の全てだと無意識に思い込んでしまう。
その偏狭な世界がその人にとって幸せなものならそのままでいいのかもしれない。
世界の悲劇も何もかも知らないで幸せに生きれるのなら、きっとそれがいいのだろう。
でも多くの場合そうなのだろうか。
その偏狭な枠の中で世間や他人の価値観に振り回され苦しんだり傷ついている人が多いように感じるのは僕の気のせいだろうか。
それとはまた全く別で、やりたいことも何もなくて虚無に生きている人も多いのが今の世の中なのかもしれない。
この日本という国は豊かだ。
豊かになった。世界でもトップレベルに。
でもそれによって国は一見の豊かさを得るために多くの闇も生んでしまったように感じる。
幼い頃、路端に綺麗なたんぽぽが咲いているのをみた事がある。
でもその周りはすごく汚い溝川だった。
僕の家の近くはドブだらけで異臭が立ち込める場所が多かった。
だけどそれでも、太陽に向かって花は伸びる。
そこに太陽があるかぎり。
咲くことを諦めなければ、きっと花を咲かすことはできるのだろう。
華やかな世界の裏側には必ずドブがある。綺麗に見せるためには汚いものを捨てなければならない。ならその捨て場所が必要になる。
捨て場所に選ばれた場所はそこでどんどん汚くなる。
でもそんな場所でも花は咲く。
爆弾が落とされて焼け野原になった場所も、時間が経てばまたそこに生命は生まれる。
この宇宙にも人類がまだみぬ惑星がたくさんある。
その中にはきっと、地球のような惑星があって、地球がなくなったとしても宇宙のどこかにはまたどこかで新たな生命は生まれるだろう。
生命が終わる瞬間などない。
終わるように見えても、また違うどこかで新たな生命が生まれるのだ。
このブログを読んでくれているあなたも、花だ。
例えあなたがどんな状況にいたとしても、命の花は必ず咲く。
そして次の生命にバトンを渡していく。
この世界が絶望だとしても
必ずその中に希望はある。
だから太陽に向かって堂々と手を伸ばせばいい。
咲き誇る花のように。