Rhynie Chert-ライニーチャート-

それでもこの世界は美しい

日本人の英語


日本人は英語を話せないとか、英語力が低いと批判をするのが世間の流行となってもう何十年と経過した。

だが一つ思う。そんなに英語ができることが重要かと。
日本国内で生活していく分には英語など話せなくて全く問題はない。
それが一つの国家としてどれだけ凄いことか。自分の母国語だけで高度な学問にも触れられるし、オンラインのコンテンツも豊富で常にその恩恵を受けていられる。

200年前まで英語を話せる人間が全くいなかった、そして75年前には焼け野原となったこの国が先代の偉大な日本人達の努力によってここまで国家としてレベルの高い国となった。

英語を学べば学ぶほどその事実の重要性に気がつくのはなんとも皮肉な話である。

日本語の語彙のレベルは漢字と仮名二種をもちいた複雑な文字体系によって他国の言語には類を見ない表現の多様性を手にした。

韓国語はハングルのみ、中国語は漢字のみ、ロシア語はキリル文字のみと言ったように多くの言語は一言語に対して一文字体系が基本である。

日本人が英語を話せなくてもここまで国力を発達させられたのは、優秀な翻訳家たちが多かったからだ。
例えばsentenceを文、letterを文字、civilizationを文明、grammarを文法、cultureを文化と簡潔に2字の熟語で表せるのは凄いことであるように思う。
英語で見れば別々に見える単語が、日本語では共通の文という字を用いて体系的に俯瞰することができるのも日本語ならではだ。(英語にもLatinを語源とする接頭語などから意味のまとまりをもちろん考えることはできるが、一文字でまとまりを示せるのは漢字の恩恵である)

個人的に舌を巻かずにはいられない名訳はgene遺伝子、odd number奇数、even number偶数、ideal理想、idea観念、concept概念、consciousness意識、などである。
どうしてこんなにも抽象的な単語を2,3字の簡潔な熟語で表せたのだろうか。
初めてこの翻訳語を創り出した日本人達はどれほど偉大であろうか。
明治以来、これらの翻訳家たちのお陰で日本語自体の語彙も増え、今日では多くの日本人が明治以来できた新しい語彙を当たり前のようにその語源となる外国語を知らずに使っている。

逆に温故知新、諸行無常、森羅万象、一期一会、明鏡止水、一蓮托生、などの簡潔で美しい四字熟語は簡潔に英単語一語では表せない。(retributive因果応報のように奇跡的に表せるものも数は少ないが一応無いわけではない。が、その絶対数は少ないしこのなんとも言えない四字熟語のしみじみとした感慨深さ、趣深さは英語では表現できない)

日本は文法重視と言われる。その文法重視のおかげで日本は他国にみない独自の進歩を遂げられた。
つまり、翻訳中心で常に日本語に帰ろうとすること、そして日本語で表現しようとすることがさらに国民の日本語への普遍性を高め、愛国心を高めた。

日本人の団結能力が類を見ないほど高いのはこう言った日本語独特の外国語学習の特性も兼ねているように見える。

英語を学べば学ぶほど古文や漢文が恋しくなる。英語にはない独特の日本語の表現が恋しくてたまらなくなるからだ。

俺はやはり日本人なんだと思う。と同時に愛国者であるためには外国語の学習は不可欠だとも思う。
日本語の美しさは外から見た時に初めてわかるからだ。

TOEICを勉強する日本人は多い。
だがあえて俺は言いたい。
国語学習を通して日本語の美しさをしり、日本語に誇りを持ってほしいと。