Rhynie Chert-ライニーチャート-

それでもこの世界は美しい

別れるという辛さを味わう苦悩

人生とは出会いと別れの連続だ。

 

朝目が覚めて、窓を開ける。

日差しが差し込んでくる。起きてすぐ、朝日と出会った。

だが夕方になると日は顔を隠す。

朝出会った太陽とも、夜には別れる。

時々曇り空が邪魔をして雨が、雷が、青い空を阻み太陽との会話を邪魔する。

世界で初めて太陽を見た人はどう思っただろうか。

 

このあたたかい陽の光がずっとずっと、そこにあると思ったのだろうか。

そして日が沈む時、何を思ったのだろうか。

初めて日の入りを見た時、明日の朝も日が昇ってくれると思えただろうか。

 

駅の改札で沢山の人とすれ違う。新宿駅では毎日300万人の人間が行き来する。

その300万のうちの数%、それでも十分大きな数だが、1度駅を利用するだけで遭遇する。

 

だがそれはきっと空気を流れる塵や粒子のようなものなのだろう。

そこにいるのに誰も気づかない。

 

群衆の中に消えていく、沢山の生命。

きっとその瞬間でしか、巡り合わない人もいただろう。

 

その中でどういうわけか人間は特定の人と繋がりを持つ。

世界の全人口、日本の全人口に比べれば、1%にも満たないほんのわずかな人間たちと一定の関わりを持つことになる。

 

彼らと、他の素通りしてしまうだけの人との違いは何なのであろうか。

生物学的には同じ生命だ。

60兆個の細胞と、タンパク質、同じ遺伝子配列を持つ霊長類ヒト科ヒト属の人間。

 

その関わりはどこか職場かもしれない、学校、どこか特別な場所で運命的な出会いかもしれない。バスの中、電車の中、図書館、ショッピングモール、バー、きっかけは色々ある。

 

どんな関わり方でもいい。

人は誰かに出会う。

そしてその関わりからいろんな感情が生まれる。

快、不快、欲望、優越感、劣等感、独占、搾取、平等、憎悪、軽蔑、無念、恥、慈愛、悲しみ、苦しみ、孤独、思いやり、愛、希望、親近、尊敬、幸福、感謝、安心、虚無

これ以外にも並べきれない沢山の感情がそこにはある。

 

関わりは関わりをうみ、その関わりは感情をうむ。

その感情は関わりの変化を生む。

そしていつかその変化は別れを生む。

 

と言っても別れのパターンも無数にある。職場なら転勤、部署の移動、海外出張、死別なら病気や老化、それ以外にも拉致や誘拐といった事件に巻き込まれる別れもある。

それから友人との絶交、恋人との不一致による別れもある。

 

別れが来た時いつも思う。

人は別れるために出会うのだろうか。

 

どこが始まりで、どこが終焉なのだろうか。

 

バタフライエフェクトという言葉がある。

ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?

という問題で知られる。

 

ほんの些細な振る舞いが、世界の大きな現象に影響を与えるということだ。

 

またそれはラプラスの悪魔としても知られる。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。

— 『確率の解析的理論』1812年

 

だがそれはあり得ないと、ハイゼンベルグ不確定性原理で提唱している。

 

この世のいかなる些細な振る舞いさえ、世界の大きな現象を引き起こす可能性がないと否定できないのだ。

 

人の出会いもそうなのだろう。

些細な人と人の関わりがどこか遥か遠くの幸せに続いていると

そう考えることができるなら、人はいつか本当の幸福に辿り着けるのかもしれない。

 

エスは言う。

おのれを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ。

 

だが、もうそんな感情からは解放された方が良いのだ。

己を愛せず、隣人を愛そうとする人が多い。

かつて僕に死ぬほど愛した人がいた。

 

その人は擦り切れながら生きていた。

その人は家族という小さなコミュニティーに縛られていた。

側から見たら、親思いの良い子だったのかもしれない。

 

だが彼女は自分の人生を生きていたと本当に思えるのだろうか。

家族が求めているからその期待に応えている娘。

 

彼女は家族以外の人を愛せないと言い残し去っていった。

 

きっとそういう感情に支配される人は、生まれながらに純粋で慈悲深い心を持って生まれた人が多いのだと思う。

 

だけどこんなに歪に歪んでしまった世の中だからこそ、そんな考えで生きても自分が擦り切れて浪費してしまうだけだと僕は思う。

 

この世界に本当に愛はあるのだろうか。

別れの先にいつかたどり着くのだろうか。

 

それは誰にもわからない。

分からないこそ価値がある。

 

別れの苦悩の先にいつか、幸福が訪れることを信じて。