この世は奇跡で溢れている。
そしてその奇跡は一見無駄と思えることの集合体なのだ。
宇宙が生まれて138億年
太陽が生まれて47億年
地球が生まれて46億年
地球が生まれたのはほんの一瞬の奇跡だ。
もし宇宙の誕生時、ビッグバンにおける宇宙の膨張率が1%でも小さければ、宇宙は再度崩壊し消滅していた。
宇宙の荷電粒子の相互作用の力が1%小さかったら、惑星は形成されず地球は誕生しなかった。
そんな僅かな奇跡の連続、その先に、今の僕たちの存在がある。
地球という惑星が誕生してから46億年間、何億年もかけて初めての植物が生まれ、動物が産まれ、絶滅しては環境の変化に適応した新たな生命は生まれ、700万年前、アフリカで地球初めての人類が誕生。そして約2万年前、我々の直系の祖先(サピエンス)が誕生したと言われている。
それからも人類は言葉や知能を手にいれ進化し続けてきた。
そして自分たちこそが生物界のピラミッドの頂点であると言わんばかりの傲慢さを振りかざし、今も世界の全てを支配しようとしている。
その積み重ねの歴史が今をつくった。
16億年前の地球と、今の地球の生態系は大きく違うだろう。
それは考古学者や古生物学者がいくつもの証拠を集めている。
なら、宇宙全体の歴史から見て、今もう存在しない生命の存在は無意味だったと言えるだろうか。
進化そして生命とは紡ぐものだと思う。
伝えて進化する。
それは波のように次から次へと伝わる。
生命も同じなのだと思う。
それは波動であり、なんの媒質もない空間を光が突き進んでいくかのごとく
次の世代へと受け継がれていく。
考古学者は700万年前に初めての人類が生まれたという。
だが誰の目にも700万年前の地球の光は見えない。
ならそれが真実だということもできない。
もしかしたらそれよりもっと前より人類はいたかもしれないし、
植物の進化の果てに、人類が生まれたのかもしれない。
何はどうあれ、いきなり無から有が生まれるなんてことはないのだろう。
つまり、他の何かが紡いできたのだ。
宇宙が生まれた。そして銀河が生まれ他の惑星が生まれ、惑星の中から奇跡が重なり地球という一つの惑星から生命が生まれた。
生命は進化を続け人間が生まれた。
今日まで今の僕たちの命を紡いできた全てに無駄などない。
例えその大本の祖先が今はもう滅んでいるとしても。
そしてまた世界のどこかで終わりを迎えようとしている命は
また次の命を運んでくるのだろう。
その宇宙の奇跡の連続によって生まれた人間の一人である我々、
この一見何の意味もないように感じるブログを書いているこの僕も、このブログを読んでくれているあなたもいずれは終わりを迎える。
生命の終わり。
だけど僕たちは今呼吸をしていて生きている。
そしてまた次の命を運ぶことができる。
あなたの存在価値などないと誰かが言ったと仮定しよう。
そう言われたらあなたはどんな気持ちになる?悲しい?
じゃあどうして悲しい気持ちになるのだろう。
それはきっと誰しも使命を持っているからだと思う。
命を運ぶという使命を。
存在価値を否定されて傷つくのだとしたら、それはあなたに存在価値があるからだ。
あなたの遺伝子が、本能が、他者のその勝手で傲慢な言葉に憤慨しているからだ。
命を運ぶと書いて、運命。
運命は誰かに決められていることじゃあない、何か超自然的な神か何かが与えるものでもない。
自分の意思で生命を運ぶこと。
それこそが本当の運命。
心臓が動き、血液が流れ、呼吸をする。そこに生命のエナジーがある。
その営みの全てに無駄などない。
そしてその司令塔であるあなた自身の意思が選択したことにも
無駄なことなんてない。
僕がこのブログで書くことは全て人間讃歌。
他人の人生の何も否定しない。
生命のあらゆる全てを肯定する。
消滅も誕生も。
今あなたが人生において迷っている選択肢があるとしよう。
Aを選ぶか、Bを選ぶか。
多くの人は正解は何かと考えるだろう。
いろんな現実的側面や、自分自身に降りかかる状況を考慮しながら
その理性と知性を用いて最もよい選択肢を選ぼうとする。
だが正解なんて存在しないのだ。
なら自分の直感が選ぶ場所に行ったほうがよくないか。
そういう僕も直感で多くを選び失敗してきた。
直感で選んで上手く行ったことの方が少ない。
それでもその失敗に後悔などない。
なぜならきっとそれが、今という瞬間に僕という生命を運んできてくれたのだから。
この世界が存在することは無駄じゃない。
宇宙が生まれたことは無駄じゃない。
地球が生まれたことは無駄じゃない。
生命が誕生したことは無駄じゃない。
あなたが生まれたことは無駄じゃない。
それは、あなたが今生きて呼吸をしているということが証明している。
それでもあなたはこの瞬間に存在する世界を、あなた自身の存在を
無駄だと感じますか?