Rhynie Chert-ライニーチャート-

それでもこの世界は美しい

教師の役割

※この記事を執筆したのはちょうど一年前です。書き留めていたものを残す場所がなかったのでここに公開します。

 

既存の学校教育の現場では、教師は科目の内容を教える。
だがこれは本当に生徒のためになっているのか疑問を呈したい。

今の時代、スマホYouTubeで分かりやすい解説や講義の動画を自由に調べられるし解説の丁寧な参考書も沢山ある。

更には今後AIの発達も伴い、教師の必要ない学習環境がより簡単に個人で構築しやすくなるだろう。

そんな風に変化していく時代の中で、あえてface to faceで無ければ出来ない教育とは何か。つねにこれを問い続けなければならない。

教師が教えるべきことは教科書に書いてあることではなく、

1.自ら学習できるようになるよう仕向けること。
2.そこで組み立てさせた知識を壊して再構築させること。

の2点である。
学習の真の意味とは何か。その哲学を持つ教師は少ない。ゆえに教科書の内容を語るだけの教師は多いが教科書の知識が如何にして生まれたか、そして如何にして体系化されてきたかを語れる者は少ない。

教科書の内容を語るだけのような授業をしていても受け身な生徒を生産するだけだ。
ゆえに今回のコロナのような不測の事態においてそれが顕著にあらわれた。

大学に入れば子供たちは自分で勉強しなければならない。大学は自ら学問の戸を叩く場所である。

人は何のために学ぶか。
それは学んだ知識の疑問点を知ることである。
既存の知識から疑問点を引き出し、それをみずから考える力を養うことが最重要なのだ。
それは自ら主体的に学ぶ姿勢が無ければ成り立たない。

この世に絶対的な真理などないのだから、如何にして真理に近づくかを考えねばならない。では何が真理へと近けるのか。
それは誤謬である。
議論が進歩をさせる。
議論するには疑問の引き出し方を知ること。

それが達成されたとき、かくて知識は脳内に落とし込まれる。

脳内の知識ブロックの破壊と再構築は最重要。