言葉の持つ力
世界は言葉でできていると言って過言ではない。
人は一日一日と成長していっていると思う。
生まれたばかりの赤子が、たくましい男や美しい女性になっていく過程も時間が作っていく。
全ては一日1日の積み重ねでありその中で人は言葉というものを通して成長していく。
成長しまた新たに言葉を通して世界を知る。
言葉は世界だ。
そして言葉の歴史が人類の歴史だ。
自然現象も数式という言葉を通して理解される。
詩人や小説家の言葉は時に人を楽しませることもあれば感動させることもある。
だが世の中は良い面だけで成立しているわけではないことに気づかなければならない。
必ず悪い面もあり、特に人の悪意や憎しみを媒介させ、命すらも奪うかもしれないのが言葉であるという側面にも目を向けなければならない。
言葉には言霊があると言われる。
僕のいう言霊とは、心理学的にいうところのメタ認知のようなもので、結局相手が言葉という媒体をとおしてどのような感情を放出してくるのか、ということに等しい。
そして時に人は、本心では思ってもないことを言葉にすることもある。
良いなんてこれっぽちも思わないものを良いものだと思い込ませて、買わせて紹介料をもらうとか。
僕はそういうものを間違った言葉とか、悪い言葉と呼んでいる。
今となっては世界は正しい言葉ではなく、間違った言葉の方が溢れているのではないかとすら思ってしまう。
一昔前なら少しテレビをつけてみれば、本当に使い心地が良いのかも悪いのかもわからない商品を芸能人がそれがさも良いものであるかのように購買意欲を煽り、スポンサーがそこに多額のお金を投じる。
そしてそのお金というのは、そうやって購買意欲を煽られた、言葉の真意に気づけない人々がその商品を買うことによって生まれた利潤なのだ。
僕は、常に人は正しい道に進むべきだと思うし、社会全体が人間を正しい道に導かなければならないと思う。
そしてそのために必要なのは本当の言葉なのだ。
本当の言葉とは、決して綺麗事でなく、嘘や偽りでもなく、世界を良くしようとする言葉のことである。
では世界にとって良いとは何か。
それは人類が滅亡することなく、地球の資源も必要以上に破壊せずに、地球を共生して、人類が発達するということが、それが地球にとっても良いという状態にあることである。
それは人間を中心とした傲慢な考えと言われるかも知れない。
だが傲慢であることは悪いと言っているわけではない。
その傲慢さえも、良い傲慢と悪い傲慢があり、人類の一部が得をして他の人間が道具として利用されるのは悪い傲慢であるし、人類にとって良くても地球を滅亡させてしまうならそれも間違いなく悪い傲慢だ。
新しく生まれた赤子が、地球を守り、人類を守るという考えを当たり前にできて、育ち、社会がそれを応援するような状況を作り出せるには、世界から嘘の言葉を取り除いていくしかないと思う。
なんだか時々無性に許せなくなる。
この世界に嘘が満ち溢れていることが。
人を救う嘘もあるとか、そんな言い訳じみたくだらないもう弁を聞く気は全くないし、言いたいやつは勝手に行ってろと思う。
そういうことしか言ってこない奴らは所詮、一ミリも人類の未来など考えてもいないと僕は思ってしまうのだ。
今、何か世界に問題が存在するとして、その問題に対して解決しようとする人をくだらない猛弁で茶化すなと言いたいのだ。
世界はやはり嘘だらけだ。
だがそのベールを壊した先に、きっと美しい世界が見えてくるのだと思う。