Rhynie Chert-ライニーチャート-

それでもこの世界は美しい

体を鍛える本当の理由

※途中割とネタっぽくとられるかもしれませんが、至って真剣に書いています。

 

どうして体を鍛えるのか。

 

時たま聞かれる。

 

そのたびいつも返答に困るのだ。

あまり手短に済むような良い回答が思いつかない。

 

だから適当に精神修行のため、とか、日課にしてるからとか答えている。

もちろんこれらも答えのうちなのだけれど。

 

言うなら、イギリス人にHow are you?と聞いて一言の回答ではなく、本当に今までどのようであったかを事細かに説明してくれるような状況に似ている。

なぜ筋トレしているの?は僕にとって非常に回答するのが面倒なHow are youなのだ。

 

なので今回はいい機会なので、このブログを通して事細かに僕の筋トレに関する思いを綴ることにする。

今後僕になぜ筋トレするのか聞いてくる全ての人にブログを見てと言えばいいからね。なんて冗談。

 

結論から言おう。僕が筋トレをする理由はたった一つ。 

将来の奥さんのためだ。

いきなりこんなことを書いて少し自分でも恥ずかしくなる。

だから基本的に会話のコミュニケーションで軽く聞かれた時に回答に躊躇ってしまうのだ。

 

僕は16歳で鳶職をしていた。詳しいことは東京編①で書くことにする。

それまでスポーツもしていなかったし、体はヒョロヒョロ、筋トレなんてしたこともなかった。だが毎日20kg以上の板を担いで現場の中で鍛えられ、ある程度の筋力は当時の同世代よりあったように思う。

 

だがそれも退職した後は痩せてしまっていた。

 

そこで2018年、当時東洋大学の一年だった僕は大学で知り合った女の子に片想いをした。

その方とは一度もデートもしたことないし、2回くらいしかしゃべったこともないのに結婚したいと思い、もしこの人と結婚したら自分がこの人を守らなきゃいけないなんて思い始め、ジムの門を叩いたのだ。

 

少し話は逸れるが、僕が人を好きなるといつも本気だ。なぜか命懸けになってしまうし、その人以外見えなくなってしまう。それでなぜかいつも空回りして重いような印象を与えてしまい、片想いがうまく行った試しがない。

 

当時僕は早稲田に住んでいた。

早稲田の4畳半の風呂もない築何年かよくわからないボロアパート。

アメリカのロックバンドOASISのDon't look back in angerの歌詞に

So I'll start the revolution from my bed(革命はベッドから始めるんだ)なんてあるが、あの部屋にはベッドなんて到底置けなかった。

ベッドも置けないあの部屋でなんとか革命起こそうと必死こいてた時代が懐かしい。

 

その4畳半の早稲田の部屋から自転車で10分ほど行った高田馬場にあるキックボクシングのジムに登録した。

 

中国人のインストラクターがカタコトながら丁寧にキックの構えやフォームを教えてくれる。

そこから週に3回ほど、ジムに通い始めた。

そこでは体を大きくすると言うより、ボクシングの構えなどを学んで街中でチンピラに絡まれた時に反撃できるようにという、自己防衛のためであった。

 

そう。僕が体を鍛え始めた最初の理由はそれで、自分と、自分以外の大切な人を守るためだった。

それは今も変わらない。だから当時はムキムキに盛り上がった筋肉じゃなくて、細身だけど反射神経があり、相手の意表をついてその場をうまく切り抜けられるような体を手に入れることが目的だった。

 

そして少し構えが身について、体が逞しくなった頃、片想いしていた子に軽くカフェに誘った。僕としては軽かったつもりだが、ラインが長文で、相手に重い印象を与えてしまったのか、カフェに行くことさえ断られた。

 

そこで僕は思った。

「ちくしょうが。この世の中には自分の彼女や奥さんに対して誠心誠意向き合おうなんて奴の方が少ないじゃあないか。なのになんで俺のように自分を磨き、相手のことを思いやり、しっかりと責任感を持って女性に接している男が重苦しいなどと敬遠されなきゃあならんのだ?

これだから世の大抵の女はアホなのだ。その場のムードや雰囲気に流されて、この男は本当に自分を大切にしてくれるのかなんて考えるセンサーのスイッチをオフにして、一緒にいて楽しいだけのくだらん男に惹かれるのだ。

そしてそんな男は大抵ヒョロッヒョロじゃあないか。男気が足らんのだ。戦時中ならこんな腑抜けどもとっくに死んでいるぞ?簡単に死にそうな男の何がいいというんだ?そして大抵そいつらは一貫力もなく、他の女性にうわつき、結局最後泣きを見るのは俺のような堅実な男ではなく、そんな腑抜けを選んだ貴様らの方ではないか。

なら俺は決めた。例え時代がどんなに流れようとも、どんな時でも自分の愛する人を守り切れる男に絶対になってやる。

そして本物の男をしっかり見極められる女性に出会えた時、その方に選んでもらえるように俺自身が鍛錬をしよう。日本もいつまた戦争になるかもわからん。その時は日本男児として自分の家族を守らねばならない」

と誓ったのだ。

 

どんどんトレーニングの量もハードになっていった。

それで気づいたら現在のように体も自然に大きくなった。

 

同時に俺の心もどんどん鍛えられていったように思う。

友人にも相談したことがあるが、この僕の恋愛観はあまりこの時代の人たちには理解されない。”試しに”付き合うってなんだ?遊びの恋愛ってなんだ?

 

常に本気でやるのが恋愛じゃないのか。

だからこそ振られたら本気で悲しいし、傷つくし、また立ち直った時一層強くなるんじゃないのか?そしてだからこそ本当に結婚までできた時、もうこの人以外にいないと本気でそう思えるからより一層、一生大切にしようと思えるんじゃないのか?

 

多分、僕は世界で一番馬鹿なのかもしれない。

 

そんなに一生懸命体を鍛えてどうするのなんて嘲笑の目をむけてくる奴だっているかもしれない。

 

だがそれでも、俺は自分を貫く。俺は絶対に体を鍛え続け、結婚しても体を鍛え続ける。いつまでも自分の奥さんにとって、魅力的でいたいからだ。

こういうところはいわゆる脳筋なのかもしれない。

 

だからはっきり言って、ボディビルの大会にも興味はないし、スポーツに対して興味はない。UFCの格闘技などにも今の所興味はない。

 

あともう一つ強いていうなら、勉強のためとも言える。

長時間机に座ったり、立って授業をしたり、膨大な量の文字をペンで書いたり、実は全て筋肉がいる。

かつて僕は読書を長時間しようとすると、本を持つ手が痺れてなかなか読書が進まなくてイライラした。そのくらい筋肉がなかったのだ。

だが筋トレを初めてから長時間の勉強も苦痛ではなくなった。

そういう恩恵も受けた。

 

愛する人を護る。

それ以外に男が体を鍛える理由なんてないし、必要ないと思っている。

 

これが、僕が体を鍛える理由。

 

全てのアイデアに価値がある。(ポテンシャル理論)

発明家トーマス・エジソンの有名な言葉がある。

「天才とは99パーセントの努力と1パーセントの閃きである」

 

多分この現代で生活していてこの言葉を聞いたことがない人はいないだろう。こぞって誰かが何かのキャッチフレーズのように使う台詞だ。

 

多くの場合、2通りの解釈がされる。天才でも努力しなければならない、とか逆にその1%が凡人と天才を分けるんだ、とかね。

 

だが僕がここで言いたいことはそんなことじゃあ決して無い。

このブログの読者の皆様には、これから先を読む前に刻んでいただきたい言葉がある。
"我々のアイデアには全て価値がある"

それは別にそのアイデアが1%だとして、それに対して99%の努力が必要とか、そういうことを決して言いたいんじゃない。

どういう意味か。
根本的にアイデアがなければ進歩が生まれないということ。

つまりアイデアと努力はまず切り離して考えるべきだということだ。

 

多くの人は勘違いをしていると思う。

イデアは実現されなければ意味がないと。

だからその実現のために努力が必要だと考えがちだ。
後半には賛成。つまりアイデアの実現に努力というプロセスは必要になってくるし、目標に向かって努力できる人は僕も好きだ。

だが前半には賛成できない。

例え実現できなかったとしても、そのアイデアそのものに価値がある。

イデアこそが進歩を生む。
そして進歩が無ければとうの昔に人類は滅亡していた。

10世紀より前に成立していたと言われるイースター島の文明が滅んだことについては諸説あるが、
有力な説は静的な社会において創造力がなかったためだとされている。

静的な社会とは、ほとんど変化がないような社会でその社会の中では変革や改革は滅多に起こらない。既存の秩序や常識を守る方向に社会の性質が働き、変化が起こるのを阻もうとし、それを引き起こす要因は排除される。それとは対照的に動的な社会とは常に社会が変化する方向に進み、よく革命が起きるような社会だ。
島民の人々は秩序の維持に固執し、環境に合わせて秩序を変化させられなかった。それがイースター文明崩壊の要因と考えられる。

静的な社会にはその秩序を維持する権力者がいる。(分かりやすいのは独裁国家共産国家として知られるかの国々をイメージしてほしい)。だが静的な社会もデメリットばかりではなく、逆に権力者が創造力を持てば静的な社会はどこよりも創造力の働く世界となる。

だとしたら、ハイラーキーやグループのトップにおける権力者には創造力が重要なのだ。

もう一つの例をあげよう。20世紀経済学者のトーマスマルサスは、食料増加は算術級数的(等差数列)に増加し、人口増加は幾何級数的(等比数列的、もっというと指数関数的)に増加するため、確実に人口が食糧生産を追い越し人類は戦争になると予言した。

だが最後の世界戦争は1945年の第二次世界大戦でそれ以降大戦争は起こっていない。(もちろん、それ以降も冷戦やベトナム戦争などであったり、その他地域や小国家間の戦争は現在も続いているが)なぜマルサスの言うとおりにならなかったのだろうか。

それは人類が進歩したためだ。

トーマスマルサスが予言した当時にはなかったアイデアが達成されたためだ。

つまり、未来の予測とはあくまでその点における偏微分(複雑に曲がる未来をその接線で近似したもの)の延長でしかない。
つまり世界を線形的に考えていることが問題で、実際には世界は決して線形的(1次関数で表せられるような直線的なもの)ではない。

ではなぜ我々は世界を線形として、つまり過去から未来へ1次元的に進んでいるように捉えてしまうのだろうか。

それは我々が地球にいながら地球の丸みを感覚で理解できないのと似ている。地球に対して我々が小さすぎるが故に地表をその偏微分接平面として認識している。

もし世界が線形的なら全ての現象はニュートン力学で説明ができ、量子力学が誕生する必要はなかった。

更に偏微分であるということはつまり、ポテンシャルが存在する。(例えば物理学において力はF=-gradUと表せられ。Uがポテンシャルと呼ばれる。gradとはgradient(勾配)の略で偏微分を表す演算子)


故にそのポテンシャルに合わせて我々は必ずアイデアを達成できる。

保存力的視点で言えば、重要なのは保存力の外から働く外力をどう利用するか。
かつ外力からの影響をどう受けずにいるか。

例えばジェットコースターに乗ることを想像して欲しい。(ちなみに僕は実際にジェットコースターに乗ったこともないし、今後の人生でも乗るつもりはない)

ジェットコースターが最大の高さまで昇った時、そこに位置エナジーが蓄えられる。そして後は高いところから低いところに向かうとき、その位置エナジーが運動エナジーに変換されて滑るため、ほとんど電気もかからない。摩擦や空気の抵抗があるのでちょうどそれでエナジーは微妙に失われ、最後は止まってくれる。

 

そこでもし摩擦も空気の抵抗もなければ無限に稼働し続ける永久機関を作ることができる。

だが永久機関の存在(正確には第二種の永久機関)は熱力学第二法則によって否定されている。

しかしそれすら目に見える物理世界の話だ。

だが人間の精神の内側にある可能性は無限大だ。そしてそこには他者も外部の力も干渉できない。自分の内側には永久機関を生み出すことができる。誰しもね。

 

それこそがアイデアであり、想像力なのだ。

自分の内側に無限に燃え続けるエナジーの貯蔵室を作ろう。

その貯蔵室があれば、人は目標を失うことなく、努力というプロセスも苦痛ではなくなるだろう。

 

そしてそのアイデアが世界を変える。

例え世界を変えられなくてもいい。

誰か一人、自分自身の人生や生活でもいい。

 

自分の向かいたい方向に必ず変えることができる。

 

僕はそれにポテンシャル理論と名前をつけている。

教師の役割

※この記事を執筆したのはちょうど一年前です。書き留めていたものを残す場所がなかったのでここに公開します。

 

既存の学校教育の現場では、教師は科目の内容を教える。
だがこれは本当に生徒のためになっているのか疑問を呈したい。

今の時代、スマホYouTubeで分かりやすい解説や講義の動画を自由に調べられるし解説の丁寧な参考書も沢山ある。

更には今後AIの発達も伴い、教師の必要ない学習環境がより簡単に個人で構築しやすくなるだろう。

そんな風に変化していく時代の中で、あえてface to faceで無ければ出来ない教育とは何か。つねにこれを問い続けなければならない。

教師が教えるべきことは教科書に書いてあることではなく、

1.自ら学習できるようになるよう仕向けること。
2.そこで組み立てさせた知識を壊して再構築させること。

の2点である。
学習の真の意味とは何か。その哲学を持つ教師は少ない。ゆえに教科書の内容を語るだけの教師は多いが教科書の知識が如何にして生まれたか、そして如何にして体系化されてきたかを語れる者は少ない。

教科書の内容を語るだけのような授業をしていても受け身な生徒を生産するだけだ。
ゆえに今回のコロナのような不測の事態においてそれが顕著にあらわれた。

大学に入れば子供たちは自分で勉強しなければならない。大学は自ら学問の戸を叩く場所である。

人は何のために学ぶか。
それは学んだ知識の疑問点を知ることである。
既存の知識から疑問点を引き出し、それをみずから考える力を養うことが最重要なのだ。
それは自ら主体的に学ぶ姿勢が無ければ成り立たない。

この世に絶対的な真理などないのだから、如何にして真理に近づくかを考えねばならない。では何が真理へと近けるのか。
それは誤謬である。
議論が進歩をさせる。
議論するには疑問の引き出し方を知ること。

それが達成されたとき、かくて知識は脳内に落とし込まれる。

脳内の知識ブロックの破壊と再構築は最重要。

自己紹介とこのブログを始めた理由

初めまして。

 

マサヤと申します。

 

ブログを始めました。

ここに書いているブログの構想は三年前からずっとありました。

 

今それを書こうと思ったのは、少し自分の人生を整理したくなったからです。

自分が今、運命の転換期にあるような、そんな気がふとして。

 

そして時に、書くという行為によって自分の過去を振り返ることも必要なのじゃないかと。

 

最近なんだか思い詰めていて、食欲も無くて、何もする気が起きなくて。

でもそんな時、書いていると落ち着く。

 

昔から書くことが好きでした。小説を書くのは不得意だったけど、自分の心情を吐露するような生々しい文章を書くことがすごく好きで。

 

昔はTwitterでいろんなことを書いていた。だけど文字制限にイライラしながら、いつかブログをやろうと思い続け、始めるまでに七年かかりました。

 

今はもうそのTwitterのアカウントはありません。SNSに縛られるのが嫌で、TwitterFacebookは去年、削除しました。

 

現代人はスマートホンに多くの時間を奪われているように思う。とにかくいろんなアプリが画面の前で踊っていて、暇になればどこかのアプリをタッチすれば、時間を潰させてくれる。

 

時間。

人一人に与えられた時間は有限である。

にもかかわらずその貴重な時間を潰すためのものなんてよくよく考えればおかしいと思ってしまう。

 

時間、それは何に使うべきか。

自分の夢のための努力、愛する人の努力、自分の幸せのための努力、僕はそんなものに使いたいと思う。

 

そして僕がいつかそこに辿り着くまでの過程を忘備録として記録していこうと思う。

 

ブログの名前はライニーチャート。

簡単に言うと、4億年くらい前の化石。

その化石に、地球で初めてとされる植物とか動物の情報が入ってる。

そんな昔の遺伝情報が、4億年先まで伝わるってすごく神秘的な気がする。

 

そしていつかこのブログが、僕が死んでもなお、僕の先の世代に何かを伝えることができれば良いと思いブログを始めました。

 

これは誰かに読んでもらうために書くんじゃない。

自分が記録するために書く。

このブログに想定する読者はいない。

 

自分の孤独との葛藤を描く。

そんなブログ。

 

 

 

 

【16歳の家出編⓪】東京に発つまでの序章

人生の転換期は16歳の時だった。

 

学校は不登校。世界の全てが憎かった。

自分の周りの親、教師、地元の人間、学校の同級生

 

僕は井の中の蛙だった。

その小さなドブ川から這い上がれば美しい景色が広がっているというのに。

 

何も知らず、ただ現状に不満を感じるだけの愚かな少年。

高校一年の冬休み明けから学校には行かず、早朝の新聞配達をはじめた。

少年は2014年の5月、フィリピンに向かった。

語学学校に4週間滞在。セブ島へ発つ。

その時の思い出はまた別の記事で語ることにしよう。

 

6月帰国する。しばらく徳島の実家に帰ったものの、呆然とする日々が続いた。

フィリピンで見た景色は壮絶だった。川沿いで長い長いテントの集落を作り、裸一貫で生活する人々。

排気ガスの立ち込める空気の悪い道路をサンダルで歩き回り、真っ黒になりながら1台1台、信号で止まっている車のドアをノックし、手を差し出して何かくれと物乞いをする子どもたち。

華やかなマニラのビルの摩天楼の真下でうずくまり、ずっと手を差し出し続けて物乞いをするだけの痩せこけた老婆、小便臭いにおいの立ち込めるビルの雑踏、観光客を見つけては集団で追いかけ何か奪おうとする小学生くらいの年齢の男の子たち。

 

彼らと同じ年齢の頃、僕は当たり前に小学校に通い、一人で通学路を歩き、家に帰れば宿題をしていた。

 

「人のものを取ったら泥棒」

そんなこと当たり前に教わっていた。僕にとってその小さな町で起こる全てが世界の全てだった。

徳島に高層ビルは無い、ホームレスも駅前にごく少数しかいない。

小学生や女性が夜一人で出歩こうともそんなに危険じゃない。

もちろん東京はまだ知らない。

 

そんな狭い世界しか知らない少年が目の当たりにした世界のリアル。

こんな日常すら世界の一部でしかなくて、僕の知らないもっと残酷で悲惨な現実があるのだと想像しただけで、そんな理不尽な世界に何もできない自分が悲しくなった。

 

こんな世界を変えたい。だけど何もできない。

そんな自分の無気力さにただ何もしない日が2週間ほど流れた。

 

それから母親の元から離れたかった。 

当時の僕が抱えていた世の中に対する不満は全て僕個人の意見ではなく、

思春期特有の一時的な現象であると決めつけられ、排除された。

 

母親は何も聞く耳を持たず、一方的な考え方を押し付けてきた。

学校を中退したいというと、母親にはもちろん、学校の教師たちにも不思議な顔をされる。

 

最初のころは一生懸命説明した。

「こんな小さな田舎で勉強だけして、もっと広い世界を知らないで10代を過ごせば、俺はスケールの小さい人間になる。自分には圧倒的に経験が足りないんだ。だからもっといろんなものを見て、経験して自分自身が成長したい。そのためにあと二年もこんなところで足踏みをしていたくないんだ。」

当時の僕の意識は外に外に向いていたと思う。

 

学校の中で起こっていることといえば、自分と近い地域で生まれた同じ年齢の子供が同じ教室に集められ、画一的な教育を受ける。

そしてその生徒たちは監獄に入れられた囚人のように規則正しい生活をし、定時までには登校をして、決められた時間椅子の上に縛られ、何の主体性もない授業を受ける。

そして休み時間や昼休みに、生徒同士がする会話はスマートフォンのアプリのゲームや昨日のテレビドラマの話、芸能人のゴシップの話に、あとは日常の生活の愚痴ばかり。

 

本気で自分の人生について考えている人間なんてほんのわずかしかいなかった。

そして皆、ただ学校で与えられた勉強だけをこなし、何となく偏差値の高い大学へ行けばいいんだと、そんな雰囲気に飲まれている奴らばかりだった。

 

「お前たちは一体誰の人生を生きているんだ?誰かが望んだ人生を生きているのか?果たしてそれで本当にお前たちは自分の人生を生きていると呼べるのか」

 

当時からすでに新卒内定者三年以内の退職率の増加や、就職難の若者、自殺率の上昇など暗いニュースは誰よりもキャッチしていた自分に取って、この日常はその数値を生み出しうる十分な環境であると気がついた。

 

誰も本気で自分と向き合おうとしていない。

自分に何が向いていて、自分はどんなことが好きで、何がしたいのか。

それを探すのが10代の貴重な時間であると僕は確信していた。

だが今の現状の世の中ではその10代のほとんどが小さな監獄の中で浪費され、大学を出てもやりたいことも自分の意思も無くした若者が多い。

それは今になっても感じる。

 

この流れに流されてしまっては、自分もそうなってしまうという危機感がそこにはあった。

だが当時の僕のその考えはこの狭い地域では排斥される。

 

当時の周りの大人たちから出てきた言葉といえば、学校で学べることは集団生活の大切さだとか、今の時代高校も出てないでどうするんだなんて頭ごなしな意見ばかりで建設的な意見は何も出てこない。

そんな何の根拠もないような話でこの俺を縛らないでくれと、あのとき何度思っただろうか。

俺の人生は俺が決める。

他の誰にも邪魔をされてはならない。

とにかく自分に言い聞かせ続けた。

 

だがその説得も虚しく、考え直せと言われ続け、俺は一年ほど、自分の望まない高校生活というモラトリアムの無駄な時間を浪費させられることとなった。

 

そして同時にこの小さな田舎にい続けては、精神が崩壊すると思った。

誰一人として味方はいない。

だけど自分の周りはまるで僕の気が狂ったとでもいうように、僕個人の意見を排除しようとする。

 

何かに丸め込まれそうになっている状況が耐えれなかった。

ここで自分の意思を貫き、自由と独立のために戦わねばならないと、当時の僕の内側に戦禍の炎が灯ったのがわかった。

 

それからというもの、高校一年の冬休みが明けてから高校にはネグレクトし、登校に拒否の意思を示した。母親とは毎日言い争った。

平和主義の自分には耐え難い現実だった。

 

何度も諦めそうになった。それでも当時の自分は闘わなければならなかった。

 

そして戦い続け、母親は根負けした。中退したのは地元ではそこそこに有名な私立の進学校だった。

だが僕はもうそこでの学びに何の価値も感じていなかった。だが僕の母親にとってはそこでの学びなどではなく、ただその学校に所属しているという事実に重きを感じてるようだった。だから「せっかく入学できたのに勿体無い」と最後まで呟いていた。

 

中退後すぐにフィリピンに飛ぶ。

そして6月に帰国後、7月から富山県の旅館に住み込みで働くことにした。

住み込みという口実を作る頃で家出の準備をした。急にいなくなれば母親は確実に捜索願いを出すと勘づいていたからだ。

 

そして富山に飛んだ。だがそこでのあまりの労働環境の大変さに辟易とした。

同時に、世の中の人間の多くはこんな理不尽な環境で働きながら生きているのかと、それはそれで勉強にもなった。

 

僕は1ヶ月で旅館から荷物をまとめて抜け出した。 

今の僕では到底そんな退職の仕方はできない。最低でも1ヶ月前には退職の連絡をし、「お世話になりました」くらいは言ってから退職すべきだし、実際僕はそうしている。だけど当時の僕にとって重要なのは自由と独立の獲得そのものだった。

 

人間の個性を否定し、ロボットのように人間を当たり前に安月給でこき使い、人格否定も厭わない、そんな労働環境に服従している自分が許せなかった。

 

当時何も怖いものなどなかった。

 

富山を抜け出し、バスで名古屋に向かった。

電話が鳴り止まなかった。電話越しに文句を言われる。だが一蹴した。

労働基準法も守らないで、こきつかってきて、これ以上もう僕に働く義務なんてありませんよ」そう言い放つと、気が狂ったように電話越しの担当者は嫌味を言ってきた。

だがもう、何を言われても気にならなかった。

 

バスで名古屋に着いて仕事を探した。

 

面接をいくつか受けるが、18歳未満を雇ってくれるところは少なく、何とか面接まで行けてもお祈りメールをもらうだけだった。

 

旅費なんてないに等しいので、名古屋駅のネットカフェを利用し、それでも金が惜しいときは路上の花壇の下で寝た。

 

割と名古屋駅の近くはホームレスのコミュニティのようなものがあって、路上で寝てる人も多い。

そして名古屋の人もそれを当たり前に思っている節もあるようで、あまり周りを気にせず眠ることができた。

 

だがその時はちょうどお盆の時で、昼間は暑く、夜はよく冷えた。

外で寝たらわかる。たとえ暑くても、全く動かないでいると寒くなってくるのだ。

冬でもホームレスの人がなぜ長袖を着ているのか、その時理解できた。

 

全く動かないということは体温が上がらない。

だから寒くて仕方ないのだ。

 

自分はこれからどうなるのだろう。でもどうしても実家にはもう戻りたくない。 

それでも財布の中にはもうお金も少なくなってきた。

どうしようもない焦りだけが込み上げてきた。

 

そして名古屋に来て10日ほど、僕はもうこの街を見限ることにした。

 

そして決意した。

「東京に行こう。名古屋からならバスで行ける。東京で何も仕事が見つからなければ、高層ビルから飛び降りよう。それでもあの地獄には戻るよりマシだ」

 

そして僕は、名古屋のネットカフェで東京行きの夜行バスのチケットを取ったのだ。

 

だが不思議と、バス乗り場に向かう足取りは軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

別れるという辛さを味わう苦悩

人生とは出会いと別れの連続だ。

 

朝目が覚めて、窓を開ける。

日差しが差し込んでくる。起きてすぐ、朝日と出会った。

だが夕方になると日は顔を隠す。

朝出会った太陽とも、夜には別れる。

時々曇り空が邪魔をして雨が、雷が、青い空を阻み太陽との会話を邪魔する。

世界で初めて太陽を見た人はどう思っただろうか。

 

このあたたかい陽の光がずっとずっと、そこにあると思ったのだろうか。

そして日が沈む時、何を思ったのだろうか。

初めて日の入りを見た時、明日の朝も日が昇ってくれると思えただろうか。

 

駅の改札で沢山の人とすれ違う。新宿駅では毎日300万人の人間が行き来する。

その300万のうちの数%、それでも十分大きな数だが、1度駅を利用するだけで遭遇する。

 

だがそれはきっと空気を流れる塵や粒子のようなものなのだろう。

そこにいるのに誰も気づかない。

 

群衆の中に消えていく、沢山の生命。

きっとその瞬間でしか、巡り合わない人もいただろう。

 

その中でどういうわけか人間は特定の人と繋がりを持つ。

世界の全人口、日本の全人口に比べれば、1%にも満たないほんのわずかな人間たちと一定の関わりを持つことになる。

 

彼らと、他の素通りしてしまうだけの人との違いは何なのであろうか。

生物学的には同じ生命だ。

60兆個の細胞と、タンパク質、同じ遺伝子配列を持つ霊長類ヒト科ヒト属の人間。

 

その関わりはどこか職場かもしれない、学校、どこか特別な場所で運命的な出会いかもしれない。バスの中、電車の中、図書館、ショッピングモール、バー、きっかけは色々ある。

 

どんな関わり方でもいい。

人は誰かに出会う。

そしてその関わりからいろんな感情が生まれる。

快、不快、欲望、優越感、劣等感、独占、搾取、平等、憎悪、軽蔑、無念、恥、慈愛、悲しみ、苦しみ、孤独、思いやり、愛、希望、親近、尊敬、幸福、感謝、安心、虚無

これ以外にも並べきれない沢山の感情がそこにはある。

 

関わりは関わりをうみ、その関わりは感情をうむ。

その感情は関わりの変化を生む。

そしていつかその変化は別れを生む。

 

と言っても別れのパターンも無数にある。職場なら転勤、部署の移動、海外出張、死別なら病気や老化、それ以外にも拉致や誘拐といった事件に巻き込まれる別れもある。

それから友人との絶交、恋人との不一致による別れもある。

 

別れが来た時いつも思う。

人は別れるために出会うのだろうか。

 

どこが始まりで、どこが終焉なのだろうか。

 

バタフライエフェクトという言葉がある。

ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?

という問題で知られる。

 

ほんの些細な振る舞いが、世界の大きな現象に影響を与えるということだ。

 

またそれはラプラスの悪魔としても知られる。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。

— 『確率の解析的理論』1812年

 

だがそれはあり得ないと、ハイゼンベルグ不確定性原理で提唱している。

 

この世のいかなる些細な振る舞いさえ、世界の大きな現象を引き起こす可能性がないと否定できないのだ。

 

人の出会いもそうなのだろう。

些細な人と人の関わりがどこか遥か遠くの幸せに続いていると

そう考えることができるなら、人はいつか本当の幸福に辿り着けるのかもしれない。

 

エスは言う。

おのれを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ。

 

だが、もうそんな感情からは解放された方が良いのだ。

己を愛せず、隣人を愛そうとする人が多い。

かつて僕に死ぬほど愛した人がいた。

 

その人は擦り切れながら生きていた。

その人は家族という小さなコミュニティーに縛られていた。

側から見たら、親思いの良い子だったのかもしれない。

 

だが彼女は自分の人生を生きていたと本当に思えるのだろうか。

家族が求めているからその期待に応えている娘。

 

彼女は家族以外の人を愛せないと言い残し去っていった。

 

きっとそういう感情に支配される人は、生まれながらに純粋で慈悲深い心を持って生まれた人が多いのだと思う。

 

だけどこんなに歪に歪んでしまった世の中だからこそ、そんな考えで生きても自分が擦り切れて浪費してしまうだけだと僕は思う。

 

この世界に本当に愛はあるのだろうか。

別れの先にいつかたどり着くのだろうか。

 

それは誰にもわからない。

分からないこそ価値がある。

 

別れの苦悩の先にいつか、幸福が訪れることを信じて。

 

 

 

 

 

日本人の英語


日本人は英語を話せないとか、英語力が低いと批判をするのが世間の流行となってもう何十年と経過した。

だが一つ思う。そんなに英語ができることが重要かと。
日本国内で生活していく分には英語など話せなくて全く問題はない。
それが一つの国家としてどれだけ凄いことか。自分の母国語だけで高度な学問にも触れられるし、オンラインのコンテンツも豊富で常にその恩恵を受けていられる。

200年前まで英語を話せる人間が全くいなかった、そして75年前には焼け野原となったこの国が先代の偉大な日本人達の努力によってここまで国家としてレベルの高い国となった。

英語を学べば学ぶほどその事実の重要性に気がつくのはなんとも皮肉な話である。

日本語の語彙のレベルは漢字と仮名二種をもちいた複雑な文字体系によって他国の言語には類を見ない表現の多様性を手にした。

韓国語はハングルのみ、中国語は漢字のみ、ロシア語はキリル文字のみと言ったように多くの言語は一言語に対して一文字体系が基本である。

日本人が英語を話せなくてもここまで国力を発達させられたのは、優秀な翻訳家たちが多かったからだ。
例えばsentenceを文、letterを文字、civilizationを文明、grammarを文法、cultureを文化と簡潔に2字の熟語で表せるのは凄いことであるように思う。
英語で見れば別々に見える単語が、日本語では共通の文という字を用いて体系的に俯瞰することができるのも日本語ならではだ。(英語にもLatinを語源とする接頭語などから意味のまとまりをもちろん考えることはできるが、一文字でまとまりを示せるのは漢字の恩恵である)

個人的に舌を巻かずにはいられない名訳はgene遺伝子、odd number奇数、even number偶数、ideal理想、idea観念、concept概念、consciousness意識、などである。
どうしてこんなにも抽象的な単語を2,3字の簡潔な熟語で表せたのだろうか。
初めてこの翻訳語を創り出した日本人達はどれほど偉大であろうか。
明治以来、これらの翻訳家たちのお陰で日本語自体の語彙も増え、今日では多くの日本人が明治以来できた新しい語彙を当たり前のようにその語源となる外国語を知らずに使っている。

逆に温故知新、諸行無常、森羅万象、一期一会、明鏡止水、一蓮托生、などの簡潔で美しい四字熟語は簡潔に英単語一語では表せない。(retributive因果応報のように奇跡的に表せるものも数は少ないが一応無いわけではない。が、その絶対数は少ないしこのなんとも言えない四字熟語のしみじみとした感慨深さ、趣深さは英語では表現できない)

日本は文法重視と言われる。その文法重視のおかげで日本は他国にみない独自の進歩を遂げられた。
つまり、翻訳中心で常に日本語に帰ろうとすること、そして日本語で表現しようとすることがさらに国民の日本語への普遍性を高め、愛国心を高めた。

日本人の団結能力が類を見ないほど高いのはこう言った日本語独特の外国語学習の特性も兼ねているように見える。

英語を学べば学ぶほど古文や漢文が恋しくなる。英語にはない独特の日本語の表現が恋しくてたまらなくなるからだ。

俺はやはり日本人なんだと思う。と同時に愛国者であるためには外国語の学習は不可欠だとも思う。
日本語の美しさは外から見た時に初めてわかるからだ。

TOEICを勉強する日本人は多い。
だがあえて俺は言いたい。
国語学習を通して日本語の美しさをしり、日本語に誇りを持ってほしいと。